ヒラリー卿とIWCインヂュニアのエベレスト探検をたたえる

エベレストに登ったヒラリーの時計

2024年10月、驚くべきニュースが世界を駆け巡りました。ナショナルジオグラフィックが、エベレストで1924年に消息を絶ったアーヴィンの「足」を発見したのです。

あわせて読みたい
エベレスト初登頂は早まるか、100年前に消えた登山家の靴を発見 1924年にジョージ・マロリーとともに消息を絶ったアンドリュー・アービンの靴をナショナル ジオグラフィックのチームが発見した。
あわせて読みたい
エベレスト登頂史最大の謎を解く鍵、遺体とカメラは見つかるのか 100年前に消えたアンドリュー・アービンの靴の発見に続くさらなる捜索によって、登山史上最大級の謎は解けるのか?
CNN.co.jp
エベレストで見つかった人間の足、山岳界最大の謎解く手掛かりか 米誌ナショナル・ジオグラフィックのドキュメンタリーチームが2024年9月、エベレストの融解しかけた氷河から突き出た登山靴と靴下を発見したとき、彼らはその重要さをたち...

1924年6月8日、イギリスの登山家マロリー(登山の動機を問われ「そこに山があるから」と答えた逸話が有名)とアーヴィンは未踏峰エベレストで行方不明となりました。

山頂直下の絶壁に取り付く2人の姿が一瞬の雲の切れ間に目撃されたのが最後です。初登頂の成否は誰にも分かりません。

最後の登攀に臨むアーヴィンとマロリー

1933年にはアーヴィンのピッケルが見つかります。その後「サスペンダーを着け仰向けに横たわり、頬を鳥についばまれる西洋人の遺体」が中国隊に目撃されるも、検証はされませんでした。

1999年にはマロリーの遺体が発見されます。滑落したままの姿で凍り付いた衝撃的な様子は世界を驚かせました。

携帯していたはずのカメラと妻の写真(山頂に置いてくる予定だった)は所持品から見つかりませんでした。

マロリーはうつ伏せで、割れた頭はほとんど瓦礫に埋もれており、中国隊が目撃した「仰向けの西洋人」とは異なるものでした。今日では、中国隊が目撃したのはアーヴィンだったと考えられています。

ごうた

マロリーの遺体は回収が困難なため、石を被せてそのまま埋葬されました(盗掘を防ぐためGPSデータは非公開)。発見から30年近く経つため、再調査が期待されます。

ナショナルジオグラフィックが発見したアーヴィンの足は、氷河から溶け出たような状態でした。中国隊が目撃したアーヴィンは雪崩や落石でバラバラになり、足だけが見つかったのでしょうか?

公式の初登頂は1953年にイギリス隊のヒラリーとテンジンが成し遂げます。

何度か触れていますが、ヒラリーは第1世代のインヂュニア(Ref.666)を着用して到達困難地への探検を行いました。

これは事実であり、私がIWCに直接照会しました。また、2004年までのIWCの日本語カタログには「エベレスト登頂にも着用していた」旨の記載があります。

インヂュニアの発売は1955年であり、初登頂の1953年とは年代の整合がつきません。これは、ヒラリーが1955年以降複数回に渡りヒマラヤ探検を行っており、その際にインヂュニアを着用していた可能性が考えられます。

しかしながら、ヒラリーが再びエベレストに登頂したか不明です。また、インヂュニア着用はヒマラヤ探検ではなく、南極を横断したCommonwealth Trans-Antarctic Expedition (CTAE) ではないかとの説もあります。

ヒラリーのインヂュニア着用は確実ですが、いつ、どこで着用していたのか、また時計の現在の所在など不明点が多いため、今後詳細を調査したいと思います。

ヒラリーがIWCから時計をプレゼントされる写真が残っています。不鮮明ながら、肉厚のシリンダーケースとラグの形状は明らかにインヂュニアです。

本件は過去記事でも触れていますが、今後の調査によっては訂正が必要になるかもしれません。

あわせて読みたい
歴史的なIWCユーザーをたたえる IWCの著名ユーザーの芳名録。本記事は情報が入り次第、都度更新。

現在知られている事実をまとめます。

1953年のエベレスト初登頂

ヒラリー:スミス デラックス

テンジン:ロレックス オイスターパーペチュアル

ヒラリーが到達困難地への探検に着用した時計:IWCインヂュニア、IWCマーク11、ロレックスオイスターパーペチュアル、スミスデラックス

コメント

コメントする

目次