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【感想】トリスタンとイゾルデ(2024年3月23日新国立劇場)

2024年3月新国立劇場のトリスタンとイゾルデのポスター
ゆり

充実した時間でした・・・(感動)
以下ネタバレ含む、素人の感想です。

2024年3月23日(土)14:00~ トリスタンとイゾルデ

指揮:大野和士 東京都交響楽団
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

目次

鑑賞後の余韻が長い

私は少年の構えるスマホの画面をじっと見つめていました。そこには走り出す山形新幹線が撮影されています。

少年は列車の動き出しと同時にスマホから目を外し、運転手に向け敬礼をしました。暗い色のガラス越しで表情は見えませんが運転手が手を振っている様子がわかります。徐々に列車はスピードを上げていき、最後尾が過ぎると同時に少年は体を半周捻って、くるっとスマホを向け、走り去ると同時に録画を終了しました。これをほぼ画面ノールックで行っており洗練された動きです。きっともっと小さな頃からの彼の習慣なのでしょう。

私は乗り物にハマるなどの経験はありませんが、多くの少年はこういった憧れを抱きます。それは意味のないことであり、同時に実に人間味のある豊かな感性であり、だから私の目は走り出す車両よりも、夢中過ぎる少しの鬱陶しさも含めて彼に釘付けだったのでした。

さて次に着く新幹線に乗れば、この旅も閉じられます。少年のこの意味のない人間味から、今回の旅の目的であったトリスタンとイゾルデというオペラについて思いを馳せました。こういう素晴らしい物語を体験すると、世界が感傷的に見えます。

トリスタンとイゾルデの物語について

新国立劇場の中

どうして恋愛で死ぬのか

「私はトリスタン。僕はイゾルデ。」
これは2人の愛の一致により、相手を自分のものとして歌うシーンです。

徹頭徹尾の言葉の巧みさが、名作と謳われる所以の一つでしょう。東洋の文化と西洋の文化の間には大きな隔たりがありますが、この愛の情緒を理解し得るという点で同じ人間として繋がれる希望があるように思います。

ほとんどのオペラでのテーマは、愛です。愛には様々な形がありますが、チェネレントラ、タンホイザー、椿姫、トスカ、そしてトリスタンとイゾルデなど、多くのものが男女の一途な愛をテーマとしています。

さてオペラを見た時に「なぜ恋愛が生死に関わるくらい重大なのだろう」と不思議に思うことは無かったでしょうか。私は「もしも、たとえこの人との恋が実らなかったとしても、他の人に会えばいいじゃない。どうしてこの人でなければいけないの?」と、世界にのめり込むことができませんでした。1人の男性を愛するが故に自死を選ぶ女性を見ては、「私はこうはならない」と線引きをして保身していたのです。

しかし最近になって、このような恋愛の形にも理解が及ぶようになってきました。

「暇と退屈の倫理学」という本を読みまして、感化されている私です。
そちらの引用となりますが、哲学者パスカルは「人というのは退屈を嫌い、じっと部屋で過ごすことができないようにできている」と言います。「全ての行動の根源はよくよく辿るとこの生きている間は逃れられない退屈をどのように気晴らしするか、というところに行き着く」というのには腑に落ちました。

それを元に今回のトリスタンとイゾルデを見てみますと、なるほど二人は一般的な人生の目的をすでに満たしています。トリスタンは名誉ある勇敢な戦士、イゾルデは美しく優しい王の妃となるような女性であり、双方とも”いわゆる幸せ”が満たされているのです。

戦士として戦いを続けているのであれば、そこにわかりやすく生きる理由があります。しかし一般人とは言えないほど豊かな彼らだからこそ、生を保つための幸せが極めて困難なものになりました。

そうしてトリスタンとイゾルデが生を保つものとして選んだものが、愛です。特にトリスタンにとっては、母親を出産で亡くし、父も亡くなっていて、愛=死であるにもかかわらずそれを選ばざるを得ないのです。

そうして悲劇を生きた彼らを見ていると、私たちと違う存在ではなく、むしろ彼らは人間が裕福になり、人生の目的を果たした時のなれの果てではないかと思えてなりません。

ゆり

第3幕で従者のクルヴェナールは、トリスタンに領土や城についてきちんと保たれていることを伝え、既にある幸せをアピールしましたが、彼の生に繋がることはありませんでした。

媚薬は本当に媚薬なのか

第1幕では、トリスタンとイゾルデは憎み合っていたにもかかわらず、媚薬を飲むことで、発狂するようにして恋に堕ちていきます。

この恋愛は、表面的には媚薬の効果によるものです。ただ私個人の見解としては、これは媚薬ではなく”抑圧された内面を表出させる薬”だと思っています。

イゾルデは自分の婚約者を殺し、その決闘で傷ついたトリスタンを介抱したのでは、トリスタンを思う気持ちがあったからではないでしょうか。自身の虚空をトリスタンは忠誠と名誉でひた隠しにし、こじつけでイゾルデとの面会を避けていたのは気持ちの強さの表れではないでしょうか。彼らは美しく見えるようにして、生きてきました。

薬によって本能を強要させられた二人のエネルギーは凄まじく、破滅を呼ぶとわかっていてもその道を辿るしかなくなります。むごいシーンで圧倒されました。

誰も悪くない

第3幕でほとんどの登場人物が死んでいってしまいます。誰も悪くないのが、苦しいところで、もうずっと物語がこれ以上進まずに終わらなければ良いのにとさえ思いました(聴衆側もこの後の悲劇について感づきつつ物語が進みます)。

少しずつ歯車がずれていただけなのです。もしトリスタンが事前に自身の内面と向き合っていたら、もしマルケ王がもう少し早くついていたら・・・

ラストの、まるでシンドラーのリストを思わせる様な赤く印象的な最後のシーンは息を呑みました。
この演出についていかが思われたでしょうか。夫は「海に入って行った」と言いましたが、私は魂として漂うイゾルデがトリスタンの響きの中に残留し、もうどこにも行けなくなってしまったように思いました。

愛は死なないのではなく、愛は死ねない。死後の救済もない。なんと悲しいお話なのでしょう。神様(作者)は恐ろしいほどに一貫して悲劇への道筋を牽き、イゾルデを孤立させて幕を閉じます。この強さは、作曲者である彼自身の経験が支えているように思います。

演奏について

5時間半という上演長さについて

上演時間が5時間25分(内休憩45分が2回)。観劇前の私は、あまりの長さに負担になるのではないかと心配していました。しかし思いがけないことに、本当にあっという間でした。

あっという間と言えど、まだ続くのね・・・と思ったシーンは所々ありました。例えば、第二幕の夜の世界で生きる2人が朝にならないでと歌うシーンでは、朝になってもなかなか起きない子供のようだと思いましたし、松明を消す消さない問題についてはおぱんちゅうさぎの「はくの?はかないの?はくの?はかないの?」という歌が頭の中で流れました。

しかしあの長さが、劇中の登場人物の感じている時間をリアルに体感できる様で、苦になりません。例えば、媚薬を飲んだあとのシーン。ゆっくりと静かに手を上げていく時、音楽的な動きも特にない静かな凪のような時間んがありました。確実に水面下で彼らが変貌していく時間が、その静寂によって叶えられていたのです。

また、朝にならないでほしいと縋る時間、松明を悩む時間、生々しい時間の流れは臨場感を生んでいました。やけに現実的で、まるで歴史を目の当たりにしたようです。

歌・演奏について

大学の基礎科目でドイツ語を受講はしていたのですが、すっかりだめですね。夫から「歌手によって言葉の聞き取りやすさが大分異なる」と、言われてから気づきました。

イゾルデはとにかく華やかでパワフルで、若い乙女というイメージに合っていた様に思います。トリスタンも青年らしい、頼りがいのある印象でした。

私は管弦楽の人間のため、やはりオーケストラの方に耳が行きがちです。あの長時間、オーボエの方たちはリードをどうしているのでしょうか。イングリッシュホルンの独奏なんて、聞いているうちにどこかに消えてしまいそうなくらい、儚く美しく、奏者のことを忘れるような演奏でした。

夫情報によると、今回の演奏はオーケストラピットの深さを一番深くしているらしく、S席に座ったのですがどこか遠くから響くような、ダイレクトにはこない響きがありました。それが「むかしむかし~」という、ノスタルジックとも言えばよいのでしょうか、まるい雰囲気になっていて大変良かったと思います。指揮者の様子もちらちら覗けて、ダイナミックな指揮ぶりにも楽しませて頂きました。

ゆり

これまでの観劇の感想記事では演奏のことをたくさん書いていましたが、今回はだめですね。音楽よりも物語の方に引き込まれてしまって、言葉に出てきません。

食事について

マエストロでランチ

本公演では45分休憩が2回あり、14時スタート19時半終演のため軽食サービスがありました。

この休憩時間にレストラン店内の方でも軽食が頂けるとのことで、はじめはそちらを検討しましたが、やはりゆっくりと食事をとりたくてランチで11時半~13時半まで過ごしました。

私のお気に入りは「ナポリタン」。スパイスやひき肉が入っているのか、なんとなくボロネーゼの様でもあります。ディナーはランチよりも人気のようですので、予約はお早めに。前菜のプレートだけでも満足感のあるお食事です。

写真を撮影しようしようと思うのですが、なんとなく上品な気持ちになっているので、いつも撮り損ねます。次回こそ。

新国立劇場レストランマエストロのグラス

幕間の軽食

2回目の休憩時間にホワイエにて、マエストロのよく煮込まれたのがわかる美味しいハッシュドビーフを頂きました。なんとお値段800円。驚きの価格です。帰り道もありますし、ここで食べれて時間的にも金銭的にも嬉しいお食事でした。

余談

観客の高齢化も問題視されている昨今ですが、このオペラの重苦しさはメンヘラ気質の方が見たら、年齢問わず結構楽しめるのではないかと思いました。

ゆり

夫の記事です。同じ舞台を見ても感想が全く異なるので、私も読んでいて面白いです。

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