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指揮者の個性

ピンクの椿と雪

先日は本番の指揮者をお呼びした練習、いわゆる“指揮練”でした。私は今まで3名のプロ指揮者と共演させて頂いているのですが、今回の方が一番親近感があり、充実した時間を過ごすことができました。

そしてそんな指揮者への憧れのあまり、本記事では自分の内面について思いを馳せるに至ります。話が飛ぶ内容となりましたが、よろしくお願いしますね。

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指揮者の彼女がまぶしいの

彼女は若手指揮者としてぐんぐんと活躍を広げている方です(2024年の芸能人格付けチェックでオケの指揮をされていました)。若々しく溌剌としていて、ポニーテールで、ニコニコしていて、みんなに笑ってもらえたり楽しんでもらえたりするのが嬉しい、というような愛らしい方でした。

そんな彼女の合奏は安心感に溢れています。こちらが彼女の心境を思いやる必要がないくらいにエネルギッシュで、自分のことに集中して合奏に臨めました。毎度指揮練で緊張しすぎておなかが痛くなる私ですが、初日は痛かったものの2日目は痛くない!今までで一番のリラックスぶりでした。

次の定演で、私はばちばちに目立つソロを任されています。ソロというのはもらえて嬉しい反面、深刻な悩みの種でもあります。というのも私はソロの解釈に毎度自信が持てないのです。周囲に意見を募ったら違う解釈を提示されて悶々とすることがあるあるです(じゃあ聞かなければ良いのでは、と思われるでしょうけれど独りよがりになるのが怖いのです)。これまでの指揮者も“自由にしていいよ”と言われるばかりで、本番近くまで迷走しがち。

しかし彼女は救世主でした。事細かに指示くださり、しかもその表現が私の解釈とドンピシャ。自信が付きました。彼女のことが大好きになりました。そして大変おこがましいのですが、安心感とエネルギッシュさを持つ素敵な彼女の姿に、昔の自分を思い出しました。

きっとみんな指揮者に憧れる

学生時代の私はかなりリーダーシップを取っていました。

中高とほぼ毎日指揮台に立ち、今では信じられませんが80名を前にして6時間の合奏をこなしていました。先輩からは大分嫌われましたが、何事も “私が正しい”“私が1番”という前提がありブレませんでした。これは無知ゆえの強さだったと思います。周囲からは「あなただから仕方ないよね」やら「幼いからね」やら「大人になって」やら散々言われつつも、ここぞという時には私しかいない、みたいな世界が出来ていたようでした。

対して今はというと、随分内向的な性格になりました。井の中の蛙であると気付いたのですね。笑
“自分はモノを知らない“ということが前提になると、よく内省をするようになりました。これによりエネルギッシュさを失いはしましたが、賢くはなりました。

そうして気づけば外向的だったころの感覚をすっかり忘れていたのですが、今回彼女の放つ華やかなまぶしさにあてられて一気に思い出し、あの頃の強さが懐かしくなったのです。音楽の道もきっと素敵でしょうね。

自分と周囲では持っている印象が全然違う

そうやって指揮者の彼女に憧れて自分を顧みる一方で、自分の足りないと思っている所も周囲から見れば素敵なポイントになっていることもあります。そういうことで元気づけていこうと思います。

周囲が意外な自分像を持っていて驚いた経験は誰にでもあるものではないでしょうか。
友人から“イメージに合う”と言ってビタミンカラーの花束をプレゼントされたことがあります。私は私を内向的と思っていたので驚きました。友人たちにとって私は外向的なのかもしれません。

「私の一番の思い出はあなたと旅行に行ったこと」と言われた時も驚きました。私が全て友人任せにしていた旅行だったからです。その後また一緒に旅行に行くことになりまして、さすがにそろそろ自主的に動かないと怒られそうだと積極的に意見をしてみたところ、意外なことに友人の反応が悪くなりました。計画に準じて旅を楽しむだけの怠惰な私こそが、友人にとっては最高の旅仲間だったようです。

コンサートで急遽楽器紹介をすることがあり、マイクを渡されて緊張のあまり「変な音がします!」と言ってしまったことがありました。私としては「あ~やっちまった~」と悶絶ものだったのですが、不思議なことに周囲からは「かわいい」「初々しい」と好評だったのです。えー。会話をする時にあわあわしてしまうのは情けなく、忙しない子だと思われているんだろうなと思っていたのですが、何故か受けが良い。気づけばたくさん声をかけてもらえるようになっていました。

弱さを保つこと

こんなところで詩を出すなんて、なんてキザなやつなんだと突っ込みを入れたいところですが、この詩があまりにもピッタリですので、引用させてもらいたいと思います・・・。

茨木のり子さんの『汲む―Y・Yに―』という詩はご存じでしょうか。

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃

立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました

そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ

子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……

わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

一周まわって緊張しいで面倒くさがりで八歩美人なままでいる方が、人間味が育つかもしれません。

ああ、それでも彼女は素敵です。この素敵さをもっとみんなに知ってほしいから、テレビにいっぱい出たら良いなと思います(そうしたら共演難しくなるだろうけども!)。ポニーテール真似したい!(現在ベリーショート民)

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