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プロの演奏家になるには神経が弱すぎる

ロレーのキャバールのオーボエ
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“プロの演奏家になるには神経が弱すぎる”

これは読み返していた村上春樹のノルウェイの森に登場した言葉です。村上春樹作品は読み返すたびに違う言葉が刺さります。今回はこの言葉を見て、まさしくそのまんまあてはまるなと思いました。私は今、楽器演奏で壁にぶつかっているのです。

私の所属アマオケに、4つ年上のプロ奏者がいます。

”プロ奏者”と言っても音大卒のプロオケ奏者としてではなく、国立大の音科卒で楽器の講師として働き、たまに地域の小さなホールを借りて大学の仲間と演奏会を開いて生計を立てている人です。

そんな彼の活動を見ていると、”きっと私にもできたのだろうな”と思えます。傲慢に聞こえるかもしれませんが、環境も才能もほぼ等しく、手が届きそうなところにいるのです。しかし私はそれができません。圧倒的に神経の図太さが足りないのです。

ソロを吹くにも周囲の人の求めるものを考えて混乱します。目の前で講師がいたら緊張していつもよりも吹けなくなります。オーボエ奏者としては致命的です。自分で歌うのが怖いのです。これは周囲のために吹いている証拠になります。心に残る演奏をしよう、美しい旋律だって思ってもらおう、上手ですごいなって思ってもらおう。そういうことをモチベーションで演奏しているからそうなるのです。

それが顕著に表れたのは昨日の木セク練習です。なんかもうお手上げというくらい吹けなくて、ショックのあまり今日は3時間しか眠れませんでした。これがしょっちゅう起きれば身がもちません。

リードの調子、楽器の調子、私の調子、コンディションの問題はありました。が、それは置いといて、吹けない。おまけに講師のプロオケの方からの質問に自信を持って答えられず、不勉強が露呈し恥ずかしい思いをしました。奏者の方ならこの痛い気持ちに共感していただけるのではないかと思います。

“痛い目を見ると上手くなる”とは思いつつも、神経のか細さあまり、情けなくて、裏でこそこそ泣きました。いい加減自分のために演奏できるようになれ、ということなんだろうと思います。しかし、果たしてオーボエを自分のために演奏できるでしょうか。

何しろ私のオーボエを始めたきっかけが、奏者への憧れです。音に魅了されたのではなくオーボエ吹きというキャラクターに惚れたのです。オーボエのメーカーや奏者の名前に頓着が無いのもそれを裏付けているように思います。

そんな私にとって自分のために吹くということは、まさに暗中模索の挑戦です。でもそれを乗り切らないと、続けられないように思います。プロになるには環境と技術力に加えて、心の強さが必要です。むしろプロとして生き残るにはその精神力が無いものから順に淘汰されていくのでしょう。

空手ガチ勢の上司に相談する

私には仲良しな上司がいて、その人は60手前の歳なのですが、学生時代からずっと空手を続けています。大けがを数回超えて大会に出られていた長期間現役で活躍された方です。若いころは刃の刃先を歩いているような生活をしていたそうで、道場破りの応対もしていたのだとか。精神的にも肉体的にも強い方ですが、とても温和で師匠のような貫禄があります。

そんな人に空手は何のためにやっているのかと聞いてみると、やっぱり自分のためにやっているのだそう。やめてしまうとずるずるしてしまいそうだ、ともおっしゃっていました。そして調子に乗って私の神経の図太さについても聞いてみたら「それはあるでしょ」と言われました。

こういう苦いときがあってもあんまり考えすぎずに、継続していればオールOKなのかも、と少し元気が出てきました。アマですしね!

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