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マーラー 第10交響曲をたたえる (インバル指揮大阪フィル 第576回定期演奏会)

大阪フィルハーモニー交響楽団第576回の定期転送会ポスター

2024年3月1日はフェスティバルホールでエリアフ・インバル指揮大阪フィルハーモニー交響楽団のマーラー10を聴きました。

演奏機会の希少な全曲版(クック版)です。インバルは半世紀以上前のクック版試演に立ち会い、クックと意見交換しました(それにしても、若い頃のインバルは本当にマーラーにそっくり)。

マーラー10の物語は伝説化しています。アルマのグロピウスとの不倫騒動、グロピウスのアポ無し突撃訪問、マーラーの錯乱、ライデンにおけるフロイトの診察(とはいっても、おなじみの寝椅子をマーラーが忌避したため単なる散歩でした)等々…。

スコアは錯乱した書き込みだらけ、さらには不都合な書き込みをアルマが切り取り、隠滅した痕跡もあります。

後期の作品中において、管弦楽の技法を極限まで突き詰めた6番、メタ音楽としての7番、宗教的法悦ともいえる8番、現世との訣別である「大地の歌」、月面のように荒涼とした9番で死を受け入れ、その先に行き着いた10番の音楽世界は、もはや形容することができません。

第1楽章の有名なクラスターの大爆発は初めて聴いた時から本当に衝撃的な音楽です。異質な物に対する恐怖で鳥肌がたち、未知との遭遇、異星人及びアダムスキー型UFOなどと言ったものを想起させます。

春の祭典も真っ青な変拍子の嵐で始まる第2楽章、「プルガトリオ(煉獄)またはインフェルノ(地獄)」と題された、静謐ながらもグロテスクな第3楽章とそれに続く激しい第4楽章のスケルツォ

バスドラムの強烈な一撃(マーラーがニューヨークで遭遇した、殉職した消防士の葬列がモチーフ)で始まる第5楽章に至っては、マーラー愛好家として感情を抑えることができませんでした。

ここまでの間に、これまでの交響曲を想起させるモチーフが波のように何度も登場しては消えていくのです。特に、第5楽章のフルートのソロは白眉と言えましょう。これは第3交響曲の第6楽章における最終場面そのものです…。

インバルの指揮は、現代音楽としてマーラー10を冷徹に捉えつつも、徐々に温度を上げていく見事なものでした。それにしても、フェスティバルホールは音響、雰囲気及びロケーションのいずれも国内最高のホールです。

本公演でマーラーの全交響曲をコンプリートしました。長年マーラー作品を愛好してきたので感慨深いです。マーラーの音楽世界は、まさに私にとって生きていくことそのものと同義と言っても過言では無いでしょう。

表  2024年3月1日時点のマーラー履歴

1番
1番(花の章付き)
交響詩葬礼
2番
3番
4番
5番
6番
7番
8番
大地の歌
9番
10番アダージョ
10番全曲(クック版)

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