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好きなものを使うと最初は居心地悪いけど(Herz)

革製リュックのHerzリュックと芝生

町中を歩いていると、鞄に推しのグッズをつけている方をよく見かけます。知っているキャラクターのものだったらなんだか嬉しいし、知らないキャラクターだったら興味が湧きます。

しかしいざ自分が大好きなものを表に出そうとすると、小心者なもので尻込みしてしまいます。自分の好きを誰からでも分かる状態にしておくというのは、無防備な状態のように思えるのです。

衣服やアクセサリー、使っている文房具など、自分の身の回りにあるものはいわゆる拡張自我です。思い入れがあるものを指摘されると、そのまま自分が指摘されたように感じてしまいます。

拡張自我
単なる“モノ”ではなく、自分の肉体より外へと拡張した“自分の一部(アイデンティティ)”と感じる現象を言います。例えば、物をどこかにぶつけた時に自分は痛くないのに「痛い!」と言うことや、機械式時計を付けていると自信がついたり、周囲からの信頼度が上がるなどがあります。

そんな中で“Herzのリュックを背負って通勤する”ということには、心の準備が必要でした。私はHerzのリュックを見ると「物語に出てきそう!」とときめく素敵なデザインなのですが、その同時に周囲から見ても「ああ、革製品とかそういうのが好きなひとなのね」というのが一目瞭然で、インパクトがあります。会社に到着すれば社員の目も惹くことになるでしょう。どう思われるのかしらとそわそわ落ち着かず、好きなものを使うのに隠したいような居心地の悪さがありました。

でもそうそう怖がる必要もないはずです。待ちゆく人たちのファッションや髪型、そして高校生たちの鞄を見ればそれぞれが自由に、逞しく、自分の好きを表現しています。彼らの一員になったつもりで恐る恐るながら、母に「変じゃない?」と何度も聞きながら背負い続けておりましたら、とある日社員の方に「そのかばんHerzだよね?」と声をかけられました。

びっくりしましたがその方もHerz製品がお好きで、いつか鞄を買ってみたいと思っていたことを、ニコニコとお話してくださいました。またつい先日も、エスカレーターにて知らない方から「どちらで買われたのですか?よくお似合いです」と言って頂きました。

日々の生活の中、周囲から見えるところで使用するものについて、オーソドックスなデザインを選ぶことは安心感を与えてくれます。でもそこで好きなものを選んでみると、指摘されたら余計に傷つくこともあるかもしれないけれど、その逆も然りで褒められたらすごく嬉しい気持ちになれます。現在このリュックを使い始めてから4ヶ月が過ぎようとしています。もし誰かからこのリュックについてとやかく言われることがあったとしても平気だろう、と思えるくらいに馴染みました。

まだ好きな洋服を着てそれを買ったお店に行くのも、HerzにHerzのリュックを背負っていくのも照れくさくて避けてますし、ロロマクラシック(高級システム手帳)を職場で開くことも、革製品に課金しがちなことがバレてしまうのが恥ずかしくて出来ていません。でも頃合いを見て、やりたいと思っています。

このブログでも自分の好きをもっと書けたら良いなと思っています。

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