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※【双極性障害・適応障害 体験談】復職するかしないか 

私は双極性障害で2年間休職し、1度復職するも失敗しました。

そして、その後もう一度復職をしてみるか、それとも転職をするかで悩みました。

これは、その悩んでいる時期の記録です。

目次

そろそろ今後の方針を決めないと

5月も半ば、どんどん6月が近づいてくる。

もう1度復職してみよう、となれば今通っているヨガスクール(療養をかねて通っていました)とリワークの転校手続きをしなければならない(実家で療養をしていてたため)。

リワークは多分転校できるけど、問題はヨガスクール。こっちは契約上通える期間が決まっていて、下手なタイミングで転校してしまえば、カリキュラムの途中で強制終了となってしまう可能性が。それを考えると、やっぱり6月までに復職するかどうかを決めなければならない。

最近、復職と向き合う時間が増えて、さらにヨガスクールでの活動も活発になってきて緊張しがち。そのせいなのか、食事も荒れがち…。夜にナッツをたくさん食べたんだよね。そういう時は食べるんじゃなくて、寝るを選択したいところ。でもなんだかよく眠れなくて眠たいし、体が重たい感覚がある。

ヨガインストラクターをやってみたくてスクールに通っているけれど、緊張にさらされることが多くていやだなとも思っている(みんなの前に立つことが多い)。これって向いてないのかもしれない。でもまあそういうものなのかもしれない。緊張にも慣れていくものなのだとしたら、もう少し続けてみないとわからないね。

復職練習の出鼻をくじかれる

映画を見た。穂高は警察を敵に回しても守りたいものがあってカッコよかった(天気の子、新海誠監督作品)。

今、私の爪はターコイズブルーになっている。最近好きな色。でもきっと誰かに指摘されたら拭い取ってしまうんだろう。私は私の好きを守れない。

こんなことを言っているのは、復職練習として職場近くの一人暮らしの家に行く予定が全て中止になったから。

私の計画では、5月の内に一人暮らしの家に滞在して、その感触を元に6月中に復職の判断を下すつもりだった。それをリワークから緊急事態宣言中だからやめてくれ、と言われてしまった(リワークを休むにはきちんと説明しなければならなかった)。

私にとって緊急に行いたいことがあっても、取りやめるしかない。緊急事態宣言ってそういうことなのだろうけれど、その出来事がひどく心に刺さってしまって、久しぶりにパニック症状を起こし、今はうつモード。あーあって感じ。

ゆり

「自分の思い通りにいかない」ということに、異常に敏感な時期でした。今でも、そういう日はたまにあります。

理不尽なことと分かっていても、リワークへの不満が込み上げてきて仕方がない。

”人それぞれの考え方や個性というものは、たまたま出会った経験や周囲の環境によって作り出されるものです。それが歪んだ認知を生んでいるのであれば、その歪みを修正しましょう”という認知行動療法。それを元にリワークでは、「これこそ私だ」と大事にしているものがかえって首を絞めているようであれば、その考え方を変える。物事の捉え方を変える。物事の意味を変える。

それを繰り返して、私は何が私にとって大事なものかわからなくなってきた。

爪先に載せた色も、何か言われれば拭ってしまうような今の私は、もはや何を大事にできるのだろうか。今更悲しくなってきた。大事にされて生きていかないと、私は私を大事にする意味が持てない。少し否定されたら何でもゴミ箱に投げてしまう。これは病気?それとも生来の気質?

関西に行くのが延期になったというだけなのに、こんなにもダメージを喰らってしまった。急遽変更が入ったら折れてしまう私は、きっと仕事もできないんだろうな。

常識よりも自分の気持ちを優先して行動できる強さ。穂高みたいな強さに憧れる。

復職しようと思う

以前はヨガインストラクターになりたいと思っていたけれど、最近は復職したいなと思っている。

  • 理由1:ヨギーニになりたいだけだから

ヨガを教えたいんじゃなくて、ヨガを知りたくてスクールに入った。インストラクターの道も敷かれているけれど、そのために勉強するんじゃなくて、やっぱり自分のために勉強したい。自分の体を調整してあげる手法を身につけたいと思う。それにヨガを仕事にして、ヨガを嫌いになりたくない。

  • 理由2:復職先が再編されたから

私が所属していた建築二課がなくなって、一課に統合された。二課の面々は現場に異動し、私は内勤からは動かされずに建築一課へ異動となった。これによって復職先のメンバーが大分変わって、気にかかる人がいない状況になり、気が楽になった。心機一転って感じで復職できそう。

  • 理由3:病気の克服感があるから

以前のわたしは周囲を優先して、自分の体調を守ることをしなかった。ここで復職が成功したら、昔はできなかったことができるようになったという成長を感じられるし、病気を克服できた、と自信になると思う。

  • 理由4:リワークで学んだことを活かしたいから

もし職場に病んでいる人がいたら助けられるかもしれない。一生懸命頑張っている人が幸せになれる手伝いをしたい。余裕ができたらヨガ班を作りたい。

ゆり

学んだことを全て何かに昇華しようと躍起になっていた時期でした。やっていることに意味が欲しかったから、自分の経験で何かしらの貢献がしたかったんです。

  • 理由5:自分の生活を作りたい

好きなキッチン雑貨に囲まれて衣食住を淡々と、シャキシャキとこなしたい。

週5で仕事+週末ヨガ講義4時間を半年なんて耐えられるのか不安だけど、とりあえず今日と明日のことだけを考えてやっていきたい。もしかしたらまた考えが変わるかもしれないけれど、とりあえず今はそんな感じ。です。

ゆり

復職と同時に週末に予定を詰め込むなんて・・・今思うと自分のキャパを過信しすぎていますね。

やっぱりどうしよう

全く困ってしまった。

転職も復職も決められなくて困っている。

まずは転職について。

最近のヨガスクールでの評判が大変よく、ありがたいことに色んな方に太鼓判を押してもらっている。また私自身でも適性があるなと感じている。ヨガを教えるのがすごく楽しい!となるわけではないけれど、でもなんかヨガインストラクターという仕事に興味があるから、上手くなりたいなと思う。もし転職をするのならインストラクターの仕事を積極的に探したいな。金銭的に豪華な暮らしがしたいわけではないから、「アルバイトor契約社員+ヨガインストラクター(フリーランス)」という働き方になると思う。

転職の魅力は、自分の好きなことを大事に暮らせるところ(休職中の職場では仕事と家の往復のような生活だった)。吹奏楽、心理学等の勉強、読書。やりたいことをする時間を作れるのが嬉しい。精神科医の樺沢チャンネルをたまにみるけど、そこで「ライスワーク(食べるための仕事)」と「ライフワーク(やりたいことをする)」を一致させていくことが幸せにつながり、時代は正社員でも副業に頼らざるを得なくなっていくという話を聞いた。ライフワークがしたいよね。

復職について。

そもそも病気になるほどの仕事で、かつ新卒入社1年しか働いていないのなら、普通に辞めるんじゃないかと思うのだけれど、なんとも往生際が悪い私である。復職の魅力も強いのだ。「社会人として普通にやれましたよという自信」と「金銭的安定」と「社会保険」と「社会的信用」が手に入る。

私の周りにはキャリアウーマンが多い。正社員として雇われてそれなりにお金をもらい、きれいな家で一人暮らしをしする自立した友人たちをみると、仕事で人の価値が決まるってほどは思っていないけれど、やっぱりたまに眩しく感じる。

金銭的安定は将来への不安にかかる。会社に属してさえいられたら、仮に体調が悪くて仕事ができなくてもお金が入ってくる。今私はすぐに金銭的に困窮することはないと思うのだが、それでもこの将来への安心は心に優しい。

復職は元気になれないだろうけど、お金の心配はしなくて良い。転職は元気になれるだろうけど、お金の心配があるかもしれない。

転職する勇気が今は欲しい。

一人暮らししていた家で滞在するリハビリ

今日は職場近くの一人暮らしの家に行ってきます。
復職練習として行ってみたいと思います。

なんだか興奮しているのか朝の5時半に目が覚めて、久々に0655を見ました。たなくじをしていたのでやってみたら「黄色い花を飾ると吉」だそうです。関西で買っても1週間もいないから、黄色い花でも折ろうかな。

爪を真っ赤っかにしてみました。気合十分。

ゆり

派手な見た目にしたくなったり、早朝覚醒している時点で、本人は気づいていませんが躁状態です。この後大きめのうつの波がきます。

滞在リハビリの結果

関西の一人暮らしの家へ行き、4泊する予定だった。

ところが1泊だけして、逃げるように東北の実家に帰ってきてしまった。

この滞在は、復職に向けて一人暮らしの練習をするために行った。あんまり気負わないように、必要最低限のものだけ詰めて、ウエストポーチ一つで旅立った。

目的地に向かうには、通勤で使っていた電車に乗らざるを得ない。徐々に車窓には見慣れた景色が映り始めた。そこから呼吸がしづらくなってきて、職場のビルに続く渡り橋が見えた時、昔の私が何の気無しに職場に向かって歩いている姿(幻覚)が見えて、少し泣いた。マスクがあって良かった。1人暮らしの家に近づくにつれて落ち着くかと思いきや、逆に忙しない気持ちが高まっていった。

久しぶりに入った私の部屋は、居心地が良くなくて、他人の部屋みたいだった。

妙に独り言が多い。というか止まらない。「独り言多くない?」っていう独り言を連呼する。この忙しない感覚を感じるくらいには自分のことを客観視できていて、持っていったノートには「いろんなものを捨てたいけれど、今日はもう何も活動せず、刺激の少ないことをしよう」と残している。でもこれを書いた記憶はない。

お昼、ほぼおやつの時間に家でうどんを食べた後、少しだけ落ち着いた。やっぱり消化活動は副交感神経を高めてくれる。

しかし私のベクトルは、室内に向けて広がっていくのを止められない。片付けなきゃという気持ちが抑えられなくて、気になる箇所がどんどん出てきて、堪えきれず私は本から断捨離を始めた。

途中途中私はメモを残している。

「死にたくなった私の部屋。やっぱり喉がキュってする。バンカーズライトをつけて、キャンドル炊いて、黒豆茶飲んで、ご飯食べても落ち着かない」
「ものの多さで、私を誤魔化している部屋」

部屋のものを見ても、近所を歩いてみても、過去の私が見えてきて、ことあるごとに苦しくなる。でも体と心を休めることができなくて、ずっと何か活動をしていた。その方が気が紛れて楽だった。

この時の私は異常だった。

トマトを切ったのにそのまままな板に残して、これなんだっけ?と後から気づく。トイレの流し忘れを数回起こす。途中まで何をやっていたのか忘れる。いつもは鬱陶しくて不快だから音楽を聞かないのに、ラジオをかける。過食をして、料理はできないからパン一斤食べたりする。朝の4時に目が覚めて、4時台にコンビニで宅急便を送る。

ここまでくると、ここは住める場所じゃないなと思った。今思っても危険だったと思う。それで翌日に帰ることにした。

図らずも弾丸になってしまったけれど、ここで暮らすことができるのかという検証をするという目的は達成したと言える。

復職は不可能だ。

この結果に以外にもショックは受けなかった。

以前の私は「一人でできる」ということがとても好きだった。小さい頃から「ゆりのもの」とおもちゃに書いたり、サンタさんにタンスをねだったり(自分でモノの管理がしたかった)、宿題で文章を書く時にも、親が言う言葉をそのまま使うのを嫌がった。スポーツも団体競技より個人競技を好んだ。自分のもの、自分だけでできることを好み、それを獲得した達成感のためにあらゆることを頑張った。

だからつい最近まで、やっぱりまた実家を出て一人暮らしをして、自分の足で立っている感覚の上で生活をしたいと思っていたのだけれど、諦めがついた。

今の私には無理なのである。理想を一人歩きさせても苦しいだけなのである。社会や周囲の人に頼って生きよう。今は、社会人らしくなることも諦めよう。

職場の最寄り駅ですれ違うサラリーマンたちを見て、「この人たちは正気で生きているのだろうか」と不思議に思う自分に戸惑った。私も少し前はこういう人たちと同じところにいたはずなのに、とても遠い、別の人のことのように感じた。

いつか自立したいとは思うけれど、そのいつかはくるかもしれないし、来ないかもしれない。分かっているのは今私は下手に動いても傷ついて消耗するだけだと言うこと。障害者手帳も申請しようと思った。

今後の方針が確定する

昨日産業医さんから、毎月の近況報告の電話があった。

私は一人暮らしの家に1泊しかできなかったこと、転職をしたいと思っていることを伝えた。それを産業医さんは「職場に伝えますか?」と聞いてきたので、そうするようにお願いした。

その電話を切った後、ふとこの転職で私がマジョリティからマイノリティへ移ることを実感した。ごうたが理想とする生活からも離れることが確定した。もう決まってしまった。後戻りはできない。急に落ち着かなくなって、不安で怖くて、お文具さんというの優しいYouTubeアニメをみて泣いた。

少し前、ごうたに「転職するかも」と伝えた。彼は「もう少し休職伸ばしたら良いのでは?」と若干難色を示していた。確かにお金がもらえる状態はキープできる。でも今回の一件で、復職がほぼ不可能であることが分かってしまった。お金のためだけに会社にしがみついて、決断を保留することで復職へのストレスを感じながら生きていくのはもう嫌になっていた。私はこの状況を終わらせて、リセットして、身の丈にあった生活を模索していく方が私のためになるって分かる。大丈夫。一晩開けた今日もそう思える。

私は弱さを歩もう。1人で立とうとしないで、社会や周りの人に助けてもらう選択をしよう。

大きな断捨離みたいだ。いよいよ本当に、離職に向かって行く。

やることは、一課長に退職したいという話をラインですること、退職届を作って送ること。それから住民票が動いたら、警察署で住所変更をして、自立支援を受けて、障害者手帳を作ること。

元気になったら近場でその時出会ったアルバイトをする。何か文章を書く仕事をしても良いかもしれないけれど、嫌なことはしない。

ここから1年くらいは日々を淡々と過ごしていこう。必要に応じて、自然体な私で生きていけるように、周囲の環境に微調整を加えていくくらいでやっていこう。微調整するって、言ってしまえば「私にはできません」「私には向いていません」と言い続ける作業であるから、ちょっと傷つく。いや結構傷つく。でもそれをしないと、環境に合わせようとまた無理をしてしまうから、そこだけはちょっと頑張ろう。自分のできる範囲に嘘をつかないようにしよう。

上司からの返信

一課長から返事がきた。泣き崩れた自分に驚く。別の私みたいだ。過去にしがみつく私だ。執着する私が泣き崩れている感じ。

これで本当に退職手続きが始まる。本当の本当に過去の私とのお別れになる。過去の自分ではなく、今の弱っちい自分に頼っていく心もとなさ。でも今の自分の足で立てるという清々しさ。

これは誰なのだろう。執着をひっぺがされて泣いた人。スッキリと前を向いて歩き出そうとしている人。私は私がわからないし、そもそもコントロールができるものでもないのだと思う。

スッキリした。軽くて怖い感じ。軽い鞄を持つと何か忘れている気がする。そんな感じ。地に足がつかなくて、ふわふわと不安定。私が築いたハリボテの城を私は取り壊したのだ。いよいよ取り壊して、また今度は小さなお家を建てるのだ。

わからない私はみんなと生きていこう。私には家族もごうたもいる。社会の制度が支えてくれる。いろんな支えがあるから、きっと生きていける。

私が私を殺そうとしても、私は死ななかった。いつ死んでも良いけれど、死ななくてもよい。自殺は苦しいから、したくない、から死ななくて良い。

何か別の世界に入ろうか、入らまいか。

しんどいなあ。

夜、母から父に私が退職する話が伝わる。当初は反対していたらしいけれど、仕方ないねという状態らしく了承はでた。

引っ越し

ここ数日、職場に近い祖父母の家に滞在して、そこを拠点に私の一人暮らしの家の引っ越し作業をしていた。

ただただ疲労困憊である。最終日の今日は特にひどくてほとんど声が出せない。音がうるさくて苦しいから耳栓をしている。脳のキャパが既に一杯一杯だから、あらゆることに過敏になってしまっている。知り合いが視界に入るだけで、情報量が多すぎて脳がオーバーヒートして泣くか怒るかしてしまう。今帰りの飛行機を待っているところなのだけれど、母とは離れた場所に座っている。

この数日間は祖父母とも母とも物理的に距離を置かざるを得ない数日間だった。相手にしてみたら良い気はしないだろう。本当に申し訳なくて、でも鬱陶しさといらだちとでおかしくなりそうだった。そう、私は今おかしい。今の私は誰かと何かをするというキャパシティを持ち合わせていない。誰かに合わせる余裕がない。

今回の旅は3泊4日、引っ越し作業を終わらせることが目的。それが無事に終わったのはうれしい。もう2度と来ないぞ。

ちょっと振り返っていこうと思う。

8月2日
空港から直接一人暮らしの家に行き、母は箱詰め作業、私は古本をブックオフへ売りに行った。買取作業中にこっそりスタバに行くけれど、ものの数時間であっても1人の時間を取らないと、既にしんどい状態。コンディションが悪い。夜は近くのネパールカレーやさん。入ったことなかったよ。そして誰も入って来なかったよ。

8月3日
祖父母の家で過ごす。特に外出らしい外出はせず、近くの本屋で坂口安吾の本を買う。鼻水が止まらない。空気清浄機を設置してもらうが、あまり効果は感じられない。もう神戸に体がついて行かないのでは?西日本嫌いになりそう。夜はお寿司。

8月4日
午前中に引っ越し荷物をヤマトが集荷、一応その場にはいるものの動けない私に変わって母にゴミ捨てを終わらせてもらう。麦本三歩(住野よる)の2巻を買う。昼ご飯は別行動で、帰り道は一緒に帰る。本当はお気に入りのご飯屋さんに行きたかったんだけど、そんなお腹の余裕も心の余裕もなく。夕方にじーちゃんにヨガを教えられたけれど、じーちゃんはあぐらを描くのが難しくて前回よりもうまく教えられなかったなあ。夜は春巻きと餃子とローストビーフ。

8月5日
朝にイライラが溜まって希死念慮で泣く。いまいち眠れなかったのも要因。一度復職した頃に祖父母の家から時短勤務をしていた時も、こうやってイライラが止まらなくてしょっちゅう泣いていたことを思い出す。もういっぱいいっぱいです。折木奉太郎とかキノとか9Sとか、少し自分と距離をとったような、淡々としたキャラクターのイラストやら動画やらを沢山見ながら、半日以上は布団の中で過ごしてた。明日のリワークの支度(報告書作成)はできていないし、なんならヒステリー球あるし(のどのつまり)。今週末の予定が少し心配。メディトピア(瞑想アプリ)には助けられた。夜は黒レンガ倉庫のフレンチトーストとレストランでソーセージとポテトサラダの盛り合わせ。

なんだかなあ、大学生の時なんかはもっと動けたのにすっかり動けなくなってしまった。しばらくどこにもお泊まりには行かないぞ。外出だってしないぞ。私は休暇を取らせていただきますので、しばらく放っておいてください。

いつになったらうつが楽になるのだろうかー、なんて取り止めもない、意味もないことをぼんやりと考えながら、「時の流れ」のオーディオブックを聞いていた。そこで「過去のミイラにしがみついて今持ち出してくることの愚かさ」を語っていた。この文章は聞くたび聞くたび発見があって面白い。それに声が渋い男性で落ち着く。

私は元気な頃のミイラや、あの職場で働いていたミイラ、運動神経抜群なミイラ、いろんなミイラを今に持ち出しているような気がする。

あーあ自分の調子が悪い時、家族や人がそばにいるだけですごく鬱陶しく感じられるのは、どうにかならないかな。今回は一人の時間がなかなか取れない環境だったのもあるかな。こりゃあごうたと暮らし出したら大変なことになるぞ~なんて思ったけれど、Yと青春18きっぷ旅をした経験もあるわけで、Mと1週間以上旅したこともあるわけで。どうなることかわかりませぬな。

今を基準に未来を描いても仕方のないことよ。だっておかしいもん。体調が悪い時こそ目先のことでも判断せずにその時の自分に任せて、その時の自分に合った判断をした方が良いと思う。

そういえば今月はヨガレッスンを受け持つ日ですよ。大丈夫かしらん。まあ2週間後だから、それだけあれば今の体調から立て直せると思います。

アナウンスが始まった。別に飛行機に早く乗って良いことは特にないので、後でゆっくりいこうとおもう。後10分くらいで出発だとさ。

お別れの挨拶LINE

昨晩は職場でお世話になった人たちにお別れのメッセージを送った。

うつになった時、「どうしてあんな職場が存在するのか」「みんなおかしいのではないか」と怒っていた。もしかしたら憎む寸前にまで行っていたかもしれない。

でも今、こうして一つ一つ思い出して、ああだったなこうだったなと列挙していくと、じんわりと涙が出てくる。辞めるという決意をしていなかったら耐えられなかったのではないかというほどの強烈な寂寥感。もう2度とあの場所には戻れないのだな、あれくらい良いコミュニティには出会えないのかもしれないなとさえ思えてくる。

一方でこんなふうに思えるのかと自分自身にびっくりもしている。やっぱり私は私の感覚や考え、思考でさえも掌握することはできないのだ。

二課長にも今までのお礼のメッセージを送った。彼への文章が一番長くなった。一番お世話になった人だ。

二課長は高身長で、格好良い部類だと思う。タバコをよく吸っていて、下ネタが好きで、女の子が好きで、飲み会が好きで、少し寂しがりで飲み会に行きたい時は椅子を揺さぶってくる。でも会議中は終始落ち着いていて、仕事もができて、部下への気配りもできて、自分がたずさったものに責任を持とうとする。人間らしくて、愛らしい人だと思っていた。そんな課長と私はとても仲が良かった。「目がキラキラしてていいよね」と言われたこともあった。今の職場はどんな感じなんだろうか。良いバランスが取れていると良いな。

彼にメッセージを送ったのは夜で、寝る時間になっても返信は来なかった。気になって寝付きづらいため納戸に端末自体を仕舞い込む、という技に出て、物理的に距離を置いた。その後気持ちを落ち着けるために軽くヨガをして、瞑想をした。それでもやっぱり眠れなくて、今頃返信は来ているだろうか、馴れ馴れしすぎたのではないだろうか、悶々としているうちに、やっと眠れた。

翌朝、朝イチでLINEを開くのは刺激が強すぎるかとも思ったけれど、気になる気持ちが勝って開いた。そこには同僚からの優しいメッセージと、課長からのメッセージが来ていた。

課長も私について悶々としていたのかもしれない。気がかりとしてずっとあったのだとしたら、申し訳ない。昨晩ふと「送りたい」と思いついてパッと書き上げて(いつもより時間も短かった)、送信した。何かしらの力が働いたのかもしれない、とか思っている。直感や感覚を大事にしていて良かった。君なら大丈夫です。

「君なら大丈夫です」こんな心強い言葉があるだろうか。ありがとう課長。

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