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【社会復帰7~10か月】建築職の手記

ラレーのミニベロ

私は2年半休職(双極性障害)したのち、今から約1年前に派遣として社会復帰を果たしました。

また7ヶ月目以降は正社員としての勤務をスタートしています。

仕事の空いている時間を使って日記のようなものを残していましたので、ここで公開します。

目次

7ヶ月

制服デビューを果たす

最近自転車通勤をはじめました。

自転車はこだわりの自転車で、大阪で働いていた時に「ベロライフアンプ」というミニベロ車(タイヤ径が折り畳み自転車みたいに小さい自転車)専門店で買った総額10万円弱のもの。フレームは黒板よりやや明るい深緑と、持ち手やサドルは茶色の合皮で、全体的にクラシカルな雰囲気。そしてミニベロ特融のかわいらしさ。手入れを怠ると気持ちが離れやすいけれど、今はやっぱり買ってよかったなあと思える愛車。メーカーは、ラレー、だよね、うん。私のオーボエのメーカーがロレーで、ラレーはlah…というスペルだから、いつもごっちゃになる。ラレー、ロレー。それから、この自転車、見掛け倒しというわけではなく、スピードもよく出て、クロスバイクかそれ以上に走れる。ブレーキはシマノ。店員さん曰くこの金額でシマノはすごいらしい。買ったのは初めてのボーナスの時だから、4年前?もうそんなになるのか。

ラレーはママチャリよりお手入れは必要だし、若干横滑りとか、サドルを高くしている分走行中にヒヤっとすることも多いけれど、かわいい自転車で車道をつーっと走っていくチート感がとっても気持ち良い。

段差や信号が多い街乗りは、いまいちだなって思うこともあるから、ロードはもっと街乗り向いてないんだろうな。クロスが売れるのもうなずける。ミニベロロードはこけそうで仕方がない。

この自転車、ホラゾニタル?ちがうな、なんかホライズンみたいな名前の形状をしていて、跨るときには足を後ろから回さないといけない。必然的にズボンを履かないと乗ることができないのがネックであった。ウエストまわりが閉まると、腸の調子が悪い私はらくちんスカートをはくことが多い。仕事場でのQOLを上げるためにもパンツを履きたくなかったから、徒歩で通勤していたのだけれど、この問題は制服が解決してくれた。

自転車に乗るときだけデニム、仕事中は制服で挑むことで快適に過ごすことができている。

正社員になったタイミングで、制服をもらった。すごく着心地が良くて、ストレッチ素材がよくのびる良い制服である。

ワイシャツ(ピンクかブルーかラベンダー)、ピンクの蝶々の羽みたいな柄のスカーフ、黒色のベストとスカート、パンプスの銀行ガールスタイル。スカーフは斜めに結ばれていて、そこだけちょっぴりキャビンアテンダントみたい。私自身も気に入っているけれど、職場のおじさん受けもとても良い。はっきりとは言わないけれど褒めてくれる。ごうたに言わせるとセクハラらしいけど、私は結構そういう反応は嬉しい。骨格ストレートだからこういう服の方が似合うのかもしれないな。

制服は高校卒業以来だ。小学6年生の頃、制服にすごく憧れていた。学校指定の制服。あのワクワクで中学受験を成功させたと言っても過言ではない。さて一回郵便局に行ってこようかな。

良い漫画と出会う

16時10分前。とりあえず手持ちの仕事がなくなって、いや、ちょっと残っているけれど、今度ごうたの家に行って、帰る時のバス予約も済ませたし、あとくもんの宿題があるけど、まあ大丈夫だろう。

さっき、銀行に振り込みをしたときに、信号を渡りきるところで「まきちゃああん」と金髪の専門学生が手を振っているのを見かけた。信号を渡り終えて振り向いてみると、信号真ん中で再会を果たしていた。ところ構わず会えてうれしそうな再会をしているのをみて、再会シーンってどんなときでも、誰がしていてもときめくものだなと思った。ときめく?色めく?

今日は昼休みに喜久屋書店に行った。そこで「日月十譚」というショートストーリーの漫画のオムニバスを買った。そこに着く前になんとなく、あ、今本屋に行ったらよいものと出会える気がする、という予感がしていて、こういう勘ってあながち間違っていないと思う。すごく良い漫画になりそう。立ち読みをしたときに、臨場感のある感覚があった。俳句と同じく漫画でも少ないページで自分の表現をしようとなると、濃厚でいきいきとしたものができるのかもしれない。これはこの人の人生のまとめなんじゃないか、というくらい深く重たいものもあった。それがデフォルメされたキャラクターで進められていくのが、バランスがとれている。そう、私はデフォルメされたタッチが好きだ。絵本のような絵柄であればあるほど、現実味も主張も強くなくて、だからこそ強いメッセージを受け取りやすい。

こういう文章を書いていると、オリバー(イギリス人の元友人)はきっと理解できないだろうなと思う。今週末に英検の準1級のテストがあるんだけれど、バックれようかとも思っている。

それから、暮らし動画を見ていて思ったのだが、私が料理や丁寧に何かをすることが苦手なのは、過程を楽しむよりも早く結果を出して落ち着きたいという気持ちが強いからだと思う。例えば自転車に乗っている時。着いたときが一番安心する。そうなると山登りもきっと一人で歩くと着いたときを求めるだろう。みんなで登るから、過程も楽しめる。吹奏楽やオケもそんな感じ。過程を楽しまないと幸福度がうんちゃらとかいう説を聞いたことがあるけれど、それに合わせて矯正をしていくよりも、結果がさっさと出るものが好きと分かっている方が幸せに近いように思う。

後何か書きたいことあったかな、生理二日目だからか何なのか、のどがちょっとしまる。今日は帰ったらポケモンしようかな。少し前に自分の誕生日に任天堂スイッチを買った。ただ桃太郎電鉄がしたかっただけなのだけれど、去年スカーレットとバイオレットが出たことで、ダイヤモンドパールが990円でソフトが売っていた。しめしめ。でも正直レベル上げに飽きそう。それよりも将棋とかそっちで強くなれたらいいのにと思ってしまっている。ポケモン向いてないかなあ。どう森もいつも飽きちゃうというか、あまり家具集めとか、、、そうか、収集癖がないのか。笑

収集癖がない、というのは大変経済的ではあるけれど、ゲームを楽しめないということにもなりうる。でもまあ家族みんなでやれたら楽しいから、みんなでやろう。ちなみに記念すべき桃鉄1回目は大負けした。くそう。

表現するのが好きだったんだけれど

 今日は久しぶりにジムに行こうかな。肩こりが結構ひどくて、背筋を鍛えたいなと思う。で、エアロビに出て、ホットヨガに出て。うん。いいんじゃないだろうか。ちょっと体力がどうなんだ。コロナになって、生理にもなっているので、とりあえずほどほどに。うん、今日は慣らす感じにしよう。

 物語に触れる側が多くて、最近表現とか想像とかそういうことが苦手になってしまった。小さいころは絵本を書いて、それが楽しかったりしたんだけどな。でもあの絵本は承認欲求だったのだろうか、忘れてしまった。昨日素敵な漫画を見つけて呼んだことで、私も何か書いてみようと思った。エッセイではないけれど、自分の話をイラストで表すのも良いかもしれない。

丁寧な暮らしには気合いがいる

 ほう、今日は0123の日なのね、アート引越センターとか安くなったりしないかしら。

今日お昼、外に散歩に行くには大寒波らしく、寒さが身に染みるので、久しぶりにリフレッシュルーム(ビル内共同の最近改装されたパーソナルスペース確保用意な休憩スペース)で、夕飯の残り詰込み弁当を食べ、今頃にしてやっと、今年の目標や夢について考えることにした。ファイロファックスの水色もM6システム手帳を広げて、小さな字で「字をきれいにする」「ジムに行く」と書き進めていった。

でもなんだかこういう目標って窮屈だな、と思う。私はゴールを定めるとゴールが目的になるので努力をしてしまうのだ。そうなると猪突猛進したくないのにそれのことに熱意を傾けエネルギー不足をしてしまう。書いていてときめくことはなく、ちょっとやっていることがずれているよなと、考え直すことにした。

そして思いついたのは、「気合をいれずに生活する」。今見てもしっくりくる。仕事にせよ遊びにせよ、気合をいれて活動することが多いけれど、それによって外面と内面に差がうまれてしまう。気合が保ちやすい家の外では活発だけれど、家に帰れば卑屈で不機嫌な性格になったりする。

たしか去年の目標は「気楽に遊んで暮らす」というもので、たまに思い返すときがあったけれど、正直100点ではなかった。

療養中とはいえ年の半分を家で過ごしておきながら、ジムや夜遊びや恋をしておきながら、100点に至らなかったのは、気楽さの方に問題がある。気楽でいようとするって難しいのだ。

たとえば、「背伸びをして外で活動を増やそうとするのではなく、家の中で少し丁寧な暮らしをしてみよう」というものがここ数年流行っている。私もこれに憧れた。憧れのスタートは北欧暮らしの道具店の「ひとりごとエプロン」というドラマ。大体同い年の女の子が団地で一人暮らしをしていた、自分の好きなものに囲まれて料理をするというショートストーリー。私も花を飾ったり、雑貨を並べたり、スコーンを焼いたりしてみた。

しかし今の生活は、効率重視。掃除のしやすさ、管理のしやすさが優先されて、断捨離をしてシンプルに少ないもので暮らす方が良いということを体感した。

丁寧な暮らしが合わなかったのは、気合を入れていたところにあると思う。

少し凝った料理というのは、普段料理をあまりしない私には気合がいる。物を飾ることもそう。気合がいらない、もしくは少し気分が良かったらできること、の中に暮らし方を定めると丁度良いのではないかな、と思う。

今、ジムに行くにしても仕事に行くにしても、少し気合がいる。でもその気合も入社当初と比べたら随分小さくなったものだ。最近またひとつ気合を小さくできたものとして、制服がある。今日の服は大丈夫だろうか?と気にする必要がなくなり、これで正解というものを身につけられている安心感があるからだ。

気合を小さくするものに関しては、課金をしても良いかもしれない。新幹線の席を指定にするとか、これで大丈夫、と思えるようなものを使うとか。

 

電話が嫌だ

 電話。苦手。何を話していいか分からないし、相手の時間を奪うし。

 昨日気合を入れないようにしようと思ったけれど、正直きつい。いつ電話かかってくるか分からない、という状態で待っているのは緊張する。すっかりナーバスになってしまった 。

 雨?みぞれが降ってきた。

 ナーバスな時って、色んなサインに気付きやすい。スピ的な意味でも、人の所作にしても。

 昨日は楽しかったな。仕事終わりにジムに行って、そこで気合を使わずにのんびり筋トレ(おかげで結構逆に追い込めた)してたら、誘ってもらってハードなプログラムに出て。インストラクターの人に褒められたし。やってみたらできた、みたいなことがよくある。日常の延長として、普通の延長として、いろんなことをしたい。小山さんはそういう意味でモデルになるよな。叱るときは叱る。それって大事だよね。

 電話でストレスがかかったので、しばらくお休みします。こうやって文章書く時間にしたいと思います。あーくもんの宿題忘れてきちゃったのショック。苦悶もブログの話題になるんだろうな。でも写真を上げるのが面倒臭い。面倒くさいことはしたくない。文字だけのブログ。

大雪な日は巫女時代を思い出す

 うまい!うますぎる~

言うなれば、東くんの鮭弁当(僕と君の大切な話)。

雪の日のカフェオレ。豆はブラジル。あーこのために雪の中散歩したと言っても・・・いや、ただ雪を楽しみたくて外に行っただけだな。いい写真もいくつか撮れた。

今日は10年に一度の最強寒波が来るということで、若干報道の仕方もネガティブだったけれど、私は山形でのお正月の神社での奉仕を思い出して、なんだか楽しくなる。去年一昨年と、自分の家にこもりがちだったからあまり山形のこと、大学生の頃のことを思い返すことはなかったけれど、今結構大事な、楽しい思い出として思い出している。

はかまの下はすごい長靴だったりとか、シャカシャカのズボン履いていて、舞の時ばれないようにしたいとか、作務衣を着て受付するのはやめた方が良いか論争とか、色々あったなあ。なぜかその時いっしょにいたメンバーはみんなその神社からいなくなってしまったらしいけれど、また逢えたらいいなと思う。

神社の受付からも雪が舞うのをぼーっと眺めてたな。たまに運動したくてその場でジャンプしたりすると、神主さんに見つかってびっくりされたり。笑

雪の道を楽しみたくて、大雪の中、外に繰り出すくらいに私は外が好きで、楽しめる才能があるんだと思う。部屋の中でユーチューブよりも、雪の道で散歩の方が楽しい。今日はまだパウダースノーだからいいけれど、明日当たり、ちょっと気温が上がると大変。あと今日思ったのは、中途半端に雪かきした道の方が滑りやすい。あ、ちなみに山形ではゆきかきじゃなくてゆきはぎっていう。剥ぐって意味か掃くって意味かはちょっと忘れた。

バーテンダーと兼業している神主さんが一ついい言葉を教えてくれたんだった。その人は祓いの儀として獅子(口が開くやつ)をカポってするのをしているとき、どうしても体が上下しちゃうみたいで、そのやり方が獅子舞みたいでみんなにからかわれていた人だったんだけど、でも好きな言葉。「朝の茶一杯」朝からせかせかせず、もう一杯飲んでいきなよって意味。ちょっと肩の力が抜ける。

雪道は歩きたいし、台風や大雨にはあたりたいし、雷はテンション上がるし。私結構楽しい親になれるかもしれない。全然想像のつかない世界だけれど、こういう未来が描けるっていうのは幸せ。シロクマも私との同居にむけて(まだ目途も経っていないし、1年以上先なんだけど)メルカリでいらないものを売り出しているらしい。こうやって、まだこの先に変化がある、ということが若いってことなのかなと思う。

最近同じビルの中に、精神疾患者、障害者の就労支援の会社が入っていることが分かって、私がお昼ご飯を食べているリフレッシュルームの一角に、フリーの打ち合わせスペースがあって、そこでおそらく支援を受けている人と、支援している人の話声が漏れてくる。親近感がわきすぎて、ちょっとしんどい時がある。

以前は自分の経験を何かに役立てるように、カウンセラーとかそういう支援系の仕事に興味を持ったこともあったけれど、この感覚があるうちは近づくと共倒れになると思う。

数カ月前、おじいちゃんが鬱になって、おばあちゃんは一気にボケたらしい。らしいというのは、私が彼らに近づく余裕と自信がなかったから。誕生日にイラストを送ったらボイスメッセージが帰ってきたけれど、なんだか、受け取りづらく感じた。一緒にいて私の鬱が再発するくらいなら、誰かに任せてもいいと私は私をゆるしているので、あまり深く考えなくて良いと思う。

さて、仕事で困ったことになった。AさんはA社の課長という風に社内の名簿に登録されていたのだけれど、B社の部長になっていた。その時、OさんはA社と連絡を取りたいのか、B社と連絡を取りたいのかによって連絡の仕方が変わっていく。あー、とりあえず待ちだな。あー疲れてきた。集中力が切れた。うーん。

郵便局に行ってきた。薄暗い雪の中、フードをかぶって歩くと、視界が狭くなる。ただでさえ雪が音を吸うなかで、さらに静けさが際立つ。そうすると少し寂しい気持ちになって、切ないような、孤独感のような。しんしんという言葉が染み渡る気持ちになる。毎日これは気が滅入るかもしれないけれど、こういう日暮れも好き。職場に戻ると雪をいやがるコメントを聞いて、俗世に戻る。きっとこんな雪の中歩くのは気違いと思われるか、若いと言われるかのどちらかだと思うから言わないけれど、私は寒い日に目いっぱい着こんで出歩くのも好き。雪景色に世界からの贈り物だなと思った。社内に同志はいないかしら。

雨の日とかもそうだけれど、足が濡れるのは不快だから、長靴やロングブーツを履くと無双できてとても気持ちが良いし歩くのが楽しくなる。くるぶしまでとかじゃなくて、ふくらはぎまですっぽり覆うもの。ミニマリストにもぜひ使ってほしい。靴をぬらすこともあはれ、と思うひとがいたら別だけど。

こういう風に日常を感じ取れるって、普段察知能力が高すぎて大変な自分のアンテナに、なんだいいとこあるじゃんって言いたくなる。

怒られたらすぐ折れます

朝からちょっぴり怒られた。怒られるのは苦手だ。

階段室の人が少なく、めったに使われない場所でしゃがんでちょっと泣いた。泣くと落ち着く。今日はなんだかそういう日な気がしていたのだ。でもOさんが構ってくれる。ありがたい。本当に。仕事選びではなく、上司選びだなと思う。疲れた。疲れた。

多分私が悪いのは60%くらいだけれど、こういうのって結構引きずるんだよね。力が入らないというか、動作不良を起こすから、叱るよりも言ってくれたらわかるから。

えーっと、次の仕事は図面をみつつやらないとならないことだな。

ミスしたことをカバーしてもらいました。私はここで働かない方が良いのかも、なんて思ったりもするけれど、ミスをしたとしてもいた方が良いんだろうな、と思う。今回間違えたのって、文字一文字だし。その一文字が大変だったわけだけれど。はあ。私がガシガシ土を掘って、後ろで上司が整地してくれて、たまに私が掘りすぎたら、埋めてくれる。

ああ。疲れた。なんか、厄落としの日かな。

こういうミスは特に初期には起こらなかったんだけれど、最近になってちょくちょく起こるということは、やっぱり人生上のハードルははじめはきちんと小さめに設定してあるということなんだろうなと思う。なんかそこへの信頼感が。

悲しくて、美術館に行った。「どんど」という絵であっためてもらって、絵描きの感受性を感じて、泣いた。絵を見て感動して泣くのは夢だったけれど、そうじゃない感がすごい。

そのあと、おっかなびっくり蝶の標本がびっしり並ぶところを見て回った。ギリギリ見れるというくらい気持ち悪かったし、今ここに標本にされている蝶が飛び立ったらとと想像すると私は美しさよりも怖さが買ってその場にしゃがみ込むだろうと思う。自分の体よりも大きな薄い羽。あまりの大きさにゆらゆらと体を持っていかれ、羽に生かされているような生命。

少し感受性が強い時間で、破滅的なものに惹かれやすいタイミングでは意外と目玉のような蝶も楽しめることがっ分かった。美術館から外に出た時にはすっかり気分も落ち着いた。

出迎えてくれるような絵、青やピンクに染まった富士山の上に子供が書いたような雲が流れる絵。この展示を見るもは3回目だけど、毎回違う発見がある。面白い。

こういう気分になると障害者手帳はそのまま維持しようかな、と思う。障害年金。

自分の中になんとなく人格がというか、陽と陰のスイッチがあって、今完全に陰に切られた感じ。おとなしい。上品、静かにしたい、動作がおっとりと。

程よい膝上スカートがほしい。

税金関係の人が監査に来たみたいで、なんのなくてんやわんやしている中。私はすることがなくなって、それはそれでなんか、居心地が悪いな。ニーアオートマタの二次創作を呼んだりしてはいたけれど、ちょっと飽きてきたというか、バトルシーンはあまり好きではに見たい。だからと言って、小川糸とか村上春樹とかが好きというわけでは似ないのだけれど。やることがない。さすがに読書するのは憚れるしな。

救ってくれるモノと救われなかったモノ

「エンタメに救われたからユーチューバーをやっている」そういうユーチューバーを見て、自分とは違うなと思った。エンタメで救われた経験はない。面白いテレビ番組を見て、それで元気になったなあと感じることはあまりない。好きだけれども。

今日もそんなに本調子ではないので、ジムに救われに行こうと思う。はなちゃんというおそらく30代のお姉さんがいつもジムで声をかけてくれて、私は彼女のことが好き。彼女に会えたらいいなと思う。彼女はいつもジムにいる。そこで結婚相手も見つけたらしい。

他にも私を救ってくれるものとしては、アニメとおなか一杯にお菓子を食べること(これは後悔も大きいからやめた方がよいかな)、読書、ちょっとお澄ましして買い物に行くこと、片付けや断捨離、山登り、新しい考えに触れることかな。こう見ると、自分の今の生活って、今やっていることって全部必要なことなんだなと思う。これらをしてバランスをとっている。意識はしていなかったけれど私にとって必要なことが回りに集まっているのかもしれない。

昨日はよく眠れた。いつもしているごうたとの電話をせず、スマホを見ずに眠った。すっきりした。今日もスマホをみたりすることなく眠ろうと思う。うまく脱力ができて、うまく休まった。こういう睡眠をずっととりたかったのだ。昨日は結構ご飯も食べたし、夜に活動もした。そんな中でどうしてあんな風にうまくいったのか。良い睡眠をとりたい。

デジタルデトックスってタイミングがあると思う。無理にやらずとも自然にやりたいと思う時は必ず来る。

やってみたけれど救われなかったこと。

ミニマリズム、肌断食、ダイエット、バスケ、夜の飲み歩き、外国人との恋愛、アイドル、テレビ、北欧暮らしの道具店、ていねいな暮らし系、自己啓発系、お金の勉強、投資、ヨガインストラクター、車の運転、デパコス、ジュエリー、香りもの、ロードバイク、一人暮らし、大都会、家計簿、キャッシュレス、バレットジャーナル、料理、

 

メイクが好きじゃない私のメイク

最近思考が滑っていく。あれえ、何を思ったんだっけ。もうお茶出ししたから忘れたわ。今日の私はなかなか愛想が良いぞ。

おなか減ったな。過食期だから空腹が結構強く出る。本当、人格が二つとは言わないけれど、分かりやすくサイクルがある。今はおとなしい期(うつ寄り)。

あ、そうだ。思い出した。デパコスはやっぱり合わないということを話そうと思ったんだった。

この間クリニークで顔全体にファンデーションをぬってもらったりしたら、ニキビができた。そうなんだよね、ファンデーションでニキビができちゃうのです。もしかしたらプラシーボ効果が逆に働いているのかもしれないけれど、ナチュラルメイクの方がいい。ナチュラルメイクというかほぼすっぴんというか。

今のメイクは5分かからないメイクで、多分基本的に女の子は良く見せてたいという気持ちとかわいく変身できるというところにメイクの良さを感じているのだろうと思う。

私がメイクを始めたのは、大学2年生の頃。ユニバに行くときに友人にしてもらったのが初めて。でもその時なんとなく浮かれるというよりは、嘘の自分を見せているような感じがした。コンプレックスこそ隠さない方が良いと思っていたし、肌に何かを乗せるということがそもそもあまり好きじゃなかった。肌断食をしてみた時期もあって、あれはちょっといまいちだったな。私は乾燥とは無縁の肌質だから、逆に脂ぎってしまった。年齢とともに減っていくと思うから、それを待ちたい。私は元来男性ホルモンが強め(だから筋肉もつきやすいのかな?)っで、ニキビになりやすいんだと思う。

私の顔は左右非対称で、私にとって右側が吊り上がっている。これをよく嫌だなあと思うんだけれど、でも菅田将暉もそうだし、建築の教授が「シンメトリーじゃなくてアシンメトリーは人の顔でも魅力的である」という説を唱えてくれていて、良かった。うれしかったな。まあちょっと気になるけれど、コンぷれくすってほどではない。それよりも気になるのは葉の色。私は小学生の頃インラインスケートで案面から子kれ手前歯の神経が死んでいるのだ。徐々に黒ずむらしいけれど、仕方がない。もうオープンにやっていくしかないだろう。こんな私でもかわいいと言ってくれる人は結構いるからね。相対的なものもあると思うけどさ。

そんなわけで、クリニークの化粧品を買ってみたはいいものの、いつものメイクの方がやっぱりいいなと思う。

私の渾身のメイクとスキンケアは、

夜:シャボン玉石鹸で洗顔、皮膚科のニキビのピーリングジェル塗布(乾燥していたらNOVの乳液)
朝:シャボン玉石鹸で洗顔、ラロッシュポゼのUV下地、ケイトのアイブロウ、ラブライナーアイライン、やりたいときは色付きリップ

これでそれぞれ5分以内。

結婚式とかちょっとキメるときは、スティックコンシーラーと韓国のパウダー(名前なんだっけ、青いやつ)と、単色アイシャドウを指で塗り、赤リップで終わり。華やかさを足したいときは赤リップを目じりに入れたりもする。メイク落としは使わずに落ちるメイク。自然とこの辺はミニマリストっぽくなっている。

今日は結構文章書いているな。あと15分でお昼。昨日は美術館に行ったけれど、今日はどうしようか。昼寝をするのもアリだなあ。

昨日BASEというパンを食べてみた。おいしい。また買ってみようかな。なんか最近よくパンが食べたくなる。朝のパンじゃなくて、あ、眠たい。今日はご飯食べたら寝にこよう。人前でぼーっとしたり、眠ったりすることができるようになりたい。そうしたら気合を入れる場所がまた減る。

最近髪を切りたい衝動がなくなった。私は髪を伸ばせなかったけれど、伸ばせるようになってきた。とにかく身軽でいたいちう

昼寝しようとしたけれど眠れなかった。私の頭の中は結構ぐるぐる回っているみたい。書き出すとかマルチタスクはやめてシングルタスクがいいんじゃないかなあ。そろそろSBCの予約と心療内科の計画をしておかないと。手帳にすることを書いておこうかな。あとバレンタインとくもん休みますれんらくと。

8ヶ月目

痛風話って笑っていいの?

おはようございます。今は朝礼前。来週の金曜日くらいに私の番が回ってきそうかな。えーっと、昨日はトランポリンに行って、体力はまだ足りないけれど、少しずつ動けるようになってきたなと思います。あと夕ご飯は食べた方が良く眠れる。スマホをみたり、電話をしない方がよく眠れる。

なんだか焦りが強くて、イライラしてしまった。この焦りって、どうしたらよいのだろうか。とりあえず良い姿勢の状態で過ごしてみようかな。パソコンの位置を変えてみた。ちょっとだけ違和感あるけれど、結構良いかもしれない。

今日は横山さんが朝礼で痛風になった報告をしていて、おもしろかった。でも多分みんな経験あるのかな、「誰にも同情されない病気だから」と上司がコメントをしている。面白くて笑ってしまった。

午前中に郵便局にいってしまいたいな。

キープランって鍵じゃないのね

 いつものことだけれど、冬が終わるかなって思ったら雪が降る。4月にも降ったりするんじゃないかな。花粉症の私としては、もうすこし雪降ってくれても良いのだよ、という気持ち。冬の雨よりは冬の雪。花粉よりも冬の雪。

 建築の仕事に携わってもう2年くらいたつんだけれど、図面でいう「キープラン」のこと、鍵のプランだと思っていた。だって前職でよく鍵のことをもめるような、公共施設ばっかりやってたんだもん。知らなかった(建具を示す図面のことでした)。

 最近これ調べて、ということについてパッと調べられるようになってきて嬉しい。少し時間はかかるけれど、図面の修正をしたりだとか、色々役に立てているようで嬉しい。

 

お香を焚く

ちょっと誰も掃除しない更衣室の掃除機かけてきた。すっきり。こんな感じで良いでしょう。たぶん。

さて、最近お香を焚き始めました。一度母に「仏壇みたいな匂いがする」と言われて、それをネガティブに受け取って避けていたけれど、最近はそうでもないようだということがわかった。

ブログを始めた

土日は家でのんびりと過ごしていた。たぶん生理前でなんとなくからだが思い。

週末、ブログを開始した。HSS型HSPの私の暮らしの話。

生理初日

今日の私の勘は正しく、朝から出血アリ。CAD作業をしていたら集中力が切れた。JWCADやめてAutoにしようよ。今日はオケの練習なんだけれど、ちょっと疲れちまって、うーん。自転車でいこうか電車で行こうか悩みどころ。普通におなか痛い。

ネット小説を読むと少し落ち着いた。着席していても落ち着くものだ。過集中になるのはあまりよくない。大体体調を崩す。

あんまり言葉が出てこない。うつ期は抜けてきたように思うけれど、やっぱり変わらない、のかなおなか痛いから、何か食べても気分は変わらないし、オーボエ一週間以上吹いていないし、今日またソロあるのにどうしよう。なんだか疲れたな。こういう時は片付けとかしよう。

ストッキングもタイツもできるだけ避けたい

最近あまり書けていないかな、なんて思っていたらそうでも無かったりする。

制服ハイソックス化計画をしようと思う。

服装でその日の気分が決まる。ミニマリストとしてやっていくと、逆に窮屈になる。

9ヶ月目

見積り提出日はバタバタする

 おはようございます。今日は上司たちが忙しそうだけれど、私は特に忙しくありません。あ、一応印刷の確認だけしておこうかな。・・・結構ミスあるやん。今日は見積書の提出の日。最後に調整をして、印刷して、紙ファイルに製本をする。製本は厚手の紙を切ったり貼ったり穴開けたりするから結構時間かかったりする。そんなわけで自作のテンプレートを作ってみたりした。

なんかズレている

なんだか、イライラしやすい気がする。焦るというか、ハマらないというか。この間作ったブログもなんだかいまいちだなって思うし、みんな16時まで帰ってこないのか。ちょっとおさぼりしようかな。ズボンやぶったから新しいのほしいし、花粉症だし、髪の毛うねるし、結婚したあとのこと心配だし、おなかの調子悪いし、痩せないし、食欲コントオールしようとすると逆に過食するし、ひなのは乗り気じゃないし、夜は眠りづらいし、片付けるの億劫だし、葉の黄ばみ気になるし、シロクマの高級腕時計のための出費も気になるし、なんか自分の理想とそういうところが離れているんだろうなっておもう。

ぱきぱき物事は進めたいし、疲れるって感覚がないくらいぐっすり眠りたいし、たくさん動きたいし、おなかの調子も良くなってほしいし、もっと似合う髪型と服がほしいし、もっと痩せたい。

タフになりたいというのが私の夢だと思っていたんだけど、ぐっすり眠ってすっきり活動して新鮮で充実した毎日を送ることって言った方がちかいかもしれない。

あんまり書きたくないな。うーん。これはうつ期?こういう時は目に映る色んなものがうるさくなる。やらなきゃいけないことも含めて全部見えないところへ。

なんとなくエクレアが食べたいな。

ちょっと変な思いつきなんだけれども、キーボードを拭くときって電源いちいち切るの面倒だなと思っていつもcapslockかけたりしてたんだけれど、今ウェットティッシュを乗せて文章を書いてみている。ブラインドタッチができないからあまりうまく書けないけれど、これによって自動的に拭かれているんじゃないか、と思っている。どうだろう。でもこれストレスの方が大きいな。あんまりうまく文章が書けない。

あー、眠れなかったり疲れやすいのって、うつだったからか。なんか納得。仕方ないよね、うつなんだもの。

 

管理の姉さんのパンチ力にやられる

姉さんに歯のホワイトニングとICLをおすすめされた。私は小学生の頃顔面からこけて前歯の神経が死んでいるもしくはレントゲンで見えないくらい細々と生きている、という状態にある。これによってホワイトニングはできなくて、かぶせモノをするとかになる。またICLというのは眼内レンズのこと。目の中にレンズを入れる手術。

なんだか痛いところを突かれた。両方とも私が少し気にしていたところだったのだ。歯が黄色いのは特に。ニキビについても姉さんに声かけられて皮膚科に行き初めて、それはすごく改善されてきた。ただその時もそうだったけれど、ショックはショックで。

ホワイトニングについても歯医者さんで相談したことがあって、そこの歯医者さんはとても良い人たちだったから、ホワイトニングは表面を傷つけてすりガラスのように乱反射させて白く見せているという話を聞かせてもらった。削って削ってを繰り返すと将来どうなるのか。

今の自分がきれいでいること、自分に自信をもっていることはいいと思うけれど、私は見た目や流行りよりも、将来のことや自然なことを選んできた。制服の着方しかり、物の選び方然り。

そう思うとすっと落ち着いた。いやはやネット上には広告になる情報ばかりでなかなかそういう意見までたどり着かない。

意外だったのは日本眼科学会のICLとレーシックのガイドラインが私のような一般人にも理解できるレベルで書いてあったということ。

10カ月目

変な電話

今日、職場に変な電話がきた。

完全に悪質な電話はわかりやすくて良い。そういう業者は「こちらから折り返すので電話番号を教えてください」と言えば大体決着がつく。

しかし今回は、分かり合えない人からの電話だった。一般に、工事を受注すると建設新聞に掲載され、それを読んだ業者が営業にやってくる。だから受注後は、色々なところから、怪しいものも含めて営業の電話がかかってくる。

後々のトラブルにならないように、電話番号を教えない人(受信履歴を見たら分かるけれど)、名前を名乗らない人、電話の目的を素直に教えてくれない人には、特に注意をしていた。

今回の電話でも、会社名は名乗るけれど個人名は名乗らず、初っ端から「新しい所長は誰ですか?」と聞いてきて、早速怪しんだ。

しかし目的を聞いてみたら、近隣で水道管工事をするので所長に挨拶がしたい、とするっと答えた。果たして水道工事が本当のことなのか判断がつかなかったので、こちらから折り返しますので電話番号をお教えください、と言うと今度は断られた。

これじゃあ本当に工事に関係のある業者な気もするし、関係無いような気もして、電話口でどうしようかと黙っていたら「あなたのお名前を教えてください」と言われた。

私は、電話受けて担当に回しているだけだから、まったく関係がない。

ますます混乱した。

見かねた近くの上司が電話を代わってくれたら、声を荒げたようだ。しかし、本当に関係のある業者だった。仕事の話だったのに、おそらくお互いに理にかなった行動をしたというのに、通じなかった。

私はこのことに結構ショックを受けた。

日本国内にも別世界がある。別世界と聞くと、歌舞伎町とか夜の街を思っていたけれど、そうじゃない。もっと身近に、同じ空間の中に私は理解できないコロニー(世界)があって、そこではこちわから見て異常に見えても、正常に仕事も回っているような気がする。

なんとなく住み分けがされていて認識をせずに生活をしていただけで、きっとたまに今日みたいにコロニー同士で接触が起きて、そのたびに社会や大人が守ってきてくれたのだろう。

男性が女性を守るというのは、なんだか時代錯誤だと思っていたけれど、そうじゃないのかもしれないと思った。どうしても私が今日の電話口の相手と対等に渡り合えるとは思えない。私が持っているツール(ゆっくり話す、理詰めで順番に説明する、優しくする、愛嬌で乗り切る等)では太刀打ちができない。

そんなことを思った。

新入社員

今週から二人の年下の女の子が、私の働いている事務所にやってきた。

一人は現場から上がってきた子、もう一人は新入社員の子。

部活をしている時に後輩ができたり、年下と遊んだりすることは得意だったから、とても楽しみにしていたのだけれど、いざやろうとすると結構疲れることに驚いた。

思っていたよりも疲れてしまった。児童館で働いていた時の疲れに似ている。私はいつのまにか一人の時間が必要なタイプになっていたんだなあ。なんとなく子育て疲れってこういうことなのかな。自分の作業を片付けていくうちに、ふっと落ち着いていく。仕事をしている方が楽っていう話、本当だったんだなあ。

 

 

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