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すんとした朝

春に咲く白い小花のアップ

花粉症が悪化して、頭痛と吐き気に悩まされた昨夜。

今朝は頭痛が引いて、ティッシュは手放せないけれど、それでもだいぶ落ち着いている。

この落ち着きが心地よくて、体のデトックスがしっかりなされたような感じで、
朝食もできるだけ摂りたくないなと思っている。

これは珍しいことだ。

私はたまに過食をする。もっともっと外から取り込みたい、満たされたい、とせかせかし食事をする。

YouTubeやAmazonプライムやらを見ながら食事をし、「もうお腹いっぱい!」と言い切れるまで食べていく。

心のどこかでそれをよくないと思っていて、体の方もお腹に痛みを出すことでアピールしてくれているのだが、
どうにも思考が暴走して、葛藤しつつも食べるのをやめられない。

こういう現象が私にはそれなりの頻度で起こる。
そういう個体なのだから仕方がない。

だから今日のようなすんとした朝は、たとえ体調が万全とはいかなくても、心穏やかで嬉しい。

目次

断捨離と体調不良

今回の体調不良は花粉症による面もあるが、エネルギーのデトックスのために私が意図的引き起こした症状という面もあるように思う。

というのもここ1週間、断捨離で家の中すみずみを見直したからだ。

大物を手放した時、一緒に「これを使ってきらきらしている私」という理想の自分像も一緒に手放して、
大きなため息がとまらなくなった心地よさを感じた。

それを皮切りに、今手元にあってもうまく使いこなせてあげられないものを手放しまくった。

家の中がすっきりしたら、自分の体もすっきりしたくなったのだと思う。

断捨離後の体調不良はよくみられる現象で、その理由に断捨離中の気持ちの張り詰めもあるが、エネルギーの流れによって必然的に生じることも十分にあると思う。

ちなみに今回の断捨離で手放したものは、

・自転車
・自転車周辺器具
・洋服
・電子機器類(マイク、ワイヤレスキーボード、以前使っていたスマホ、iPad)
・化粧品
・靴
・手紙、ポストカード
・本
・置物
・カバン
・南部鉄器
・パワーストーン
・食器(ウェックの密閉用品)

つまり、スピードの出る自転車に乗る快活な私、レディらしく見られようとする私、YouTubeやSNSで発信する私、パワーストーンやタロットをお守りにする私、瓶を煮沸消毒して丁寧に料理する私を手放した。

悩ましくも残したものは、

・着物
・テント
・ミラーレス一眼
・システム手帳A5

着物を着る私、テント泊する私、カメラで写真を撮る私、大きなシステム手帳で事業計画をする私、は残すことにした。

気が乗ったらいつかやるかもしれない。

断捨離というのは自己像(エゴによる)を手放す機会でもある。定期的に背負っているものを見直すためにも、荷物の確認はしたほうがよいだろう。

全捨て

断捨離はスッキリするが、今の私には、全部捨てるというのも味気ない(大転換したい時は全捨ても有効)。

ミニマルを極めると、肉体において考えたら「骨だけでよい」というところに行き着くのではないだろうか。

顔は必要だろうか、必要ないかもしれない。
思考も、必要ないかもしれない。
体験において、意識を使って骨さえ動かせさえしたら、骨だけでできる。

肉体というのは風邪をひくし、老化はするし、突き詰めると無駄なものとも言えそうだが、
その無駄を愛して選んで人間として生を受けた。

だからエゴでも驕りでも、自分に理想を持っているという遊びは残していてもよいと思うわけで、
全て捨てるということはせず、放っておくことにした。

体の断捨離(整え)

少し話は変わるが、最近「ゆるませ習慣」のススメという本を読んだ。

私たちは表層の筋肉にばかり気をかけがちで、骨について考えを及ばせていないことを知った。

赤ちゃんのような、力みなく、正しい位置に骨をおくと動作をしても疲れにくく、回復もしやすい(休むのが上手い)。
武道の観点からも、軸はしっかり安定させて、あとは緩ませる体の使い方というのが日本人に合っている。

私がヨガインストラクターの資格取得中に、その時の先生が「整体はいいよ」と整体に通っている話を聞いて、矛盾を感じたことを思い出した。

先生は体の感度が高いから整体に行くのかなとも思ったが、
やっぱり自分で自分の体を整えきれていないということを不思議に思っていた。

ホットヨガに生徒として通っていた時も、とにかく効果を求めてテニスボールでごりごりとほぐす忙しないクラスや、脂肪燃焼を謳って高温多湿で筋トレをするクラス、ポーズを深めて深めて筋トレを促すクラスがほとんどだった。

これは先生やクラスが悪いという話ではなく、世間的にそれが求められている、つまり表層の筋肉、見た目に意識が向きがちで、中身の具体がすかすかになりがちな状態が一般的になっているということだ。

私は良くも悪くも私自身も中身がないということに気づいていて、どうしてもヨガインストラクターをしている時は自分で自分のおかしさを隠せず、仕事として続けていく選択ができなかった。

あれから数年経ち、この本や他にもYouTubeなどからの情報を得て、
骨を使って体を動かし、力みなくゆるんで生活するのが、私には向いているだろうと思った。
(精神疾患に加えて過敏性腸症候群を持っており、内臓が緊張しやすい私は、世間的な健康法は合わない)

また、この本は「いつまでも健康になれない」「健康とはどういう状態のことか」ということについても言及している。
永遠に売られ続ける健康器具。健康とはこういうイメージという像。

私が私を健康にするには、自身の「健康」という定義を見直さなければならない。

お菓子を食べること=不健康ではない。お酒をたくさん飲む=不健康でもない。
たくさん食べても日常生活支障なく暮らし、長寿をまっとうしているひとも多くいるはず。

この体の使い方を意識してまだ数日だが、すんとした朝にこの情報が一役買った。

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