MBTIについての説明は割愛して、早速本題に入ろうと思います。
もしご存じなければ公式MBTI協会のHPの説明が分かりやすくておすすめですので、ぜひご覧くださいね。
MBTIへの不信感
私も類に漏れず、韓国好きの女の子からMBTI診断というものを教えてもらいました。INFJ(提唱者)と診断されたのは5年くらい前のこと。無料の心理テストにしては随分凝っているなと感心したことを覚えています。
最近ふと思い出しもう一度やってみたところ、またもやINFJでした。
私はこの結果を疑いました。性格が変わっていると思っていたからです。
確認がてら母にも診断をしてもらうと、なんと同じINFJが診断されました。うーむ。不信感がむくむくと湧いてきます。
そもそも人類を16分類というのは無理がありますし、さらには公式がネット上の無料診断についてMBTIと全くの別物と言っていると来た。
いよいよ火が付き、早々にMBTIの公式書籍を購入し、2日で300ページを読み切りました。結果夢中になったのです。笑
《 学んだ方法 》
・16パーソナリティ診断(無料)
・個人ブログによる公式MBTIワークショップのネタバレ
・wiki(https://wikiwiki.jp/16types/INFJ)
・公式MBTI HP
・書籍:MBTIのいざない
計:3000円ちょっと(書籍代のみ)
INFJ自認までの紆余曲折
私は双極性障害の気があり(寛解済)、指向に波があります。
最終的には母も私もINFJだというところに落ち着くのですが、そこに至るまで紆余曲折ありました。
ここから用語が出てきますが、読み飛ばしていただいて構いません。
要は自分のタイプをしっかり検討したよというアピールタイムです。
まずは先ほども触れましたが、性格の違う母と同じ診断であることが認められませんでした。
母はインドアで従順であるのに対し、私は回遊魚と言われるほど活発で積極的なタイプでしたので、お互いに似ていないと思っていたのです。
そうだとしたら私が違うのでしょう。
結構合理主義だし、ISTPだったけれど今落ち込んでいるだけかも?
INFJと言われるほど優しくないしもっと打算的だから、他人の目が気になるINTJ?
いや昔はもっと活動的だったし、今でも社交性はあると思うからENFJ?
1週間以上の逡巡に終止符を打ったのは、語尾のAとTによる分類です。調子が良かったときはAだと暫定すると、なんとか辻褄が合いました。
・・・実際は考えるのが疲れただけかもしれませんが、とりあえずそういうことで。
こうして自分のタイプを探すことに苦労したわけですが、そのプロセスこそ自己探求が深まったようにも思います。それがMBTIの活用方法の一つらしいので、図らずもその恩恵を受けられてよかったです。
MBTIの良いところ
“流行りの心理テスト”としか思っていなかったMBTIですが、かなり実りが多かったのでまとめます。
同じMBTIの人に、自分のことを教えてもらえること
今改めて何が良いのか聞かれたら、「同じMBTIの人の自己理解についての発信を読むことで、自分の自己理解も進められるところ」と答えると思います。
自分の中にあるぼんやりとした自己理解も、実はもう既に同じMBTIの方によって言語化されて明らかになっていた、ということが多いです(ありがたい!)。これはとても便利ですし、同じ考えの人がいるということにも心が温まります。
自分にとって負担に感じる理想像が分かるようになる
私はよくああなりたい、出来るようになりたいと憧れを抱きます。それが楽しいときもあれば、自分の至らなさに苦しめられてしまうときもあります。
自分の至らなさを悲観してしまうばかりでは大変です。そこでMBTI的に向いていないのだと分かっていると、歯止めがかかります。
例えば、趣味が高じてヨガインストラクターの資格取ったことがあります。その時に教える側もやってみようと数回レッスンを開いてみましたが、全く楽しめずインストラクターへの道は諦めることにしました。
当時周囲の人から「向いているね」「素敵な仕事だよ」とおすすめされていたもので、うまくハマらなかった自分に「どうしてできないのだろう」と不満を抱えていました。
今までこの経験がなんとなくわだかまりとして残っていたのですが、MBTIで外向感覚に弱いということを知って納得がいったのです。
レッスンを誘導するためには、時間配分・参加者の体調への気遣い・ポーズのスムーズな順番・気温や湿度や照度などあらゆることにアンテナを張ります。この外部への感覚意識をフル回転させていたことで、キャパオーバーに陥っていたのだろうと思います。
MBTIは自分の向き不向きを、他の診断よりもかなり詳細に知ることができます。HSPという存在を知ったときの安心感と同様、もしくはそれ以上にMBTIは自己認識を深めてくれます。それによってむやみに理想像を追うことは減り、描く理想像自体も変わったように思います。
世の中にいる色んな人の、“色んな”が垣間見られる
「思いやりを表現して」と言われたら、どのように表現しますか?
私の場合は「話を共調して聞いて、本人から要望があれば意見する」のですが、とある人にとっては「相手の意見を批判してブラッシュアップを図る」のだそうです。
“世の中には色んな人がいる”と言っても“色んな人”の見当がつかず、底知れないものだと思っていました。しかしMBTIというヒント集を手に入れたことによって、人間関係の輪郭が見えたようで、私にとってはかなりの安心材料になりました。
MBTIの面白いところ
MBTI別にコロナワクチンについてのスレがあり、これがとても面白かったのです。
同じMBTIで集まり意見し合う場所は、顕著にそのタイプらしい雰囲気がありました。そしてそこでは、それぞれが自分のタイプに誇りを持っており、同族嫌悪からなのか相手のタイプの誤認の疑うという、ちょっとした不和がうようよと漂っていて、それを含め世の中面白いなあと体感できます。ぜひ覗いてみてほしいです。
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