1755年11月1日、マグニチュード9.0の巨大地震がイベリア半島を襲いました。今日ではリスボン大地震と呼ばれるこの地震により、ポルトガル王国の首都リスボンは壊滅し、王宮や図書館に残されていたマゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマ、テイシェイラなどの偉大な航海の記録は全て失われました。宰相ポンバル侯の見事な手腕により、リスボン市街は秩序だった復興を遂げるものの、これを期に海上帝国ポルトガルはかつての栄光を失っていきます。


サンタ・カタリナ・ド・モンテ・シナイ
1520年進水、ポルトガル海軍旗艦としてヴァスコ・ダ・ガマの第三次航海に同行。城郭のような船首楼、船尾楼にびっしりと備え付けられた旋回砲(スウィベル・ガン)は140門に及びます。1524年、西大西洋で行方不明となりました。
時は流れ、1936年(1938、1939年説もあり)シャフハウゼンのIWC本社を2人のポルトガル人時計商アントニオ・テイシェイラ氏(偉大な大航海者テイシェイラの子孫)とロドリゲス氏が訪れます(シャフハウゼンへの接触は手紙によるものだったという説もあります)。2人の要望は、マリンクロノメーター級の高精度ムーブメントを載せたステンレススティール製腕時計でした。
IWCと2人のポルトガル商人との接触は神話となっており、実際どうだったのかはわからなくなっています。
テイシェイラはリスボンの時計店「Antonio Teixeira Lda」のオーナー
ロドリゲスは1940年代に時計店「Rodrigues & Gonçalves」を設立し、自身のオーダーしたポルトガル・ウォッチ、いわゆるポルトギーゼを販売することになります。
「Antonio Teixeira Lda」は2015年の時点で存続していますが、家具日用品を取り扱っており、当のテイシェイラ氏とは関係が無くなっているようです。
また、Rodrigues & Gonçalvesはすでに解散しています。リスボン市街 Rua Áurea 200にあった事務所は廃墟となって久しいものの、2015年まで表札が残っていました。現在は綺麗にリノベーションされ、別の店舗が入っているようです。


英国海軍向けに計測用デッキウォッチを納入していたIWCは、その明瞭な文字盤のデザインを活かし、高精度の懐中時計ムーブと大型ケースを合わせてポルトギーゼを作り上げました。
ポルトギーゼ=アラビアインデックスといった印象が強いですが、意外なことに、文字盤は個体によってバラバラでした。色はホワイト、シルバー、ブラック。インデックスはアラビア、ローマ、セクター、レールウェイと極めて多岐に渡りました。IWCはこの時計が売れるとは思っていなかったようで、有り合わせの適当な組み合わせで出荷したようです。


次回へ続きます


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