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旅が終わったあと(良い旅とは)

仙台の老舗ホテル、江陽グランドホテルの外観

部屋のあちこちに、旅の香りが残っています。

私は今まで、旅の良さというものをよく分かっていませんでした。
旅が終わったら、一仕事終わったという開放感ばかり。
旅だけではありません。勉学や部活動や仕事でも、何か優位な成果を出したとしても、同じように開放感と安堵感ばかりでした。

しかし今回は違いました。初めて生命の輝きを体験するような時間が過ごせたのです。
ちっとも知らなかった、私が生きている場所、私自身のことを学びました。
地球は、世界は、人間は、こんなにも多様で美しい。

エジプトでは人智を超えるものと向き合いました。どうやって削ったのか解明されていない巨像や、気が遠くなるほど夥しい装飾を前に、私はただ佇むことしかできませんでした。私の生きている世界は、昔はできたのに今は誰にも理解できないものが嘘みたいにたくさんある世界でした。

それからエジプトはたくさん侵略を受けた国です。それはもう日本とは比べ物にならないほど。
それでも遺跡は3000年以上経った今も多数残っていて、さらにはそれを観る観光業を基軸に国が回っています。その逞しさたるや。

夫が遺跡を見て言うには、諸行無常で虚しいとのことですが、私にはそれらが心強い存在に映りました。確かにそれらは顔が削られ、薙ぎ倒され、上書きされた痛々しい形跡がたくさんあります。でもどこまで行ってもそれは形跡であって、丸出しの壊し方で、言ってみれば全くエジプトは壊されていません。

日本の精神もエジプトの遺跡のように堅牢で巨大で、神秘的なものだと私は信じています。たとえ外部の力が働いて今までの日本が脅かされたとしても、相手が太刀打ちできないくらいの強さと歴史を持っている。遺跡の立ち姿に勇気づけられました。

そして私自身のことになりますが、私はこの旅で高熱と嘔吐と下痢に見舞われました。喧騒の中の、清潔とは言い切れない場所での衣食住でした。しかしそれでも毎日外に出て旅を続けることができました。

私(たち)の体は思っているよりもずっと動けるすごい体だったのです。具合の悪いまま体力を高めることさえできました。どこか欠けていることが、生命のポテンシャルを上げたように思いました。高熱の中出産する妊婦や、兵隊たちはこの延長にいるのだと思いました。今まで具合の悪さに潔癖だったようですが、具合が悪くても良いのだと、悪いことじゃないのだということを知りました。

海外移住したいわけではありません。やっぱり日本の優しい暮らしが好きです。けれども少しの異臭や物音の中で、布団もかけずに寝ることのできた自分がいることを、とても誇らしく思うのです。

他にも言葉には出てこないじわじわとしたエネルギーが心のうちに残っていて、それが私の目を輝かせ、言葉の響きに載って外の世界へと出ていくのではないかと思っています。

そういう旅ができたことは、心からの幸せです。

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