散策ルート
午前中に到着し、思ったよりも混んでいませんでした。最寄りの駐車場に車を止めたら、エレベーターで海岸レベルまで降り、そこから海岸に沿って舗装された道を歩き、いくつかのトンネルを抜け(少しポニョっぽい)、浄土ヶ浜ビジターセンターまでを散策しました。
片道10分程度で道に段差もなかったので、ベビーカーを押した人たちも多く見受けられました。天気もよく、さわやかな海の香りが心地よかったです。
浄土ヶ浜の地質と考察
さて、浄土ヶ浜ですが、名前に“浄土”と入っているのは、この浜を見た人がその白さに感動したからではないかと想像します。浜が一面に白いので、神秘的な印象がありました。
少し地学的な話をしたいと思います。浄土ヶ浜はマグマが冷えて固まってできた流紋岩で占められています。このきれいな白色は、二酸化ケイ素を多く含むことに由来するそうで、“浄土ヶ浜流紋岩”と名付けられました。
地形は入り組んでおり(リアス式海岸)、海を眺めると松島のようにぽつぽつと海に削られていく島々が見られます。そこをウミネコがミャーミャー言いながら飛んでいました。
すぐそばにある岩肌を観察すれば、直線状のひびが入り、まるで板状になっている様子が見られます(板状節理)。スレートのような石もたくさん落ちており、それが徐々に海水に流されて摩耗し、浜辺の方では平たく丸い石が多くなっていました。これを見つけた弟が水切りをし始めたため、一時観光客による水切りブームを起こしました。
また浄土ヶ浜近辺ではそこかしこで地層が確認できます。地殻変動により隆起したことにより、地層が露呈しており、石の持ち帰り禁止を謳っているのは化石採取などができるからなのではないかと思います。
それから私たちは乗りませんでしたが、観光ボートが出ており“青の洞窟”という場所に連れて行ってもらえるようです。駐車場までの帰り道、高いところから浜を一望した時に、たしかに海が深い青碧色をしていました。
浄土ヶ浜ビジターセンターと震災復興事業
昼食は、この浄土が浜ビジターセンターの食堂で頂きました。
ここで驚いたのは、テーブルとイスが天童木工のものだったということです。
天童木工は東北民の私の憧れの木工製作所です。学生時代に工場見学に行ったこともあります。
天童木工は元々天童市(町)の木工家具建具連合組合に始まり、戦争中に飛行機の模型製作(囮として飛行場に設置するもの)を製作し、時代と共に技術力を磨いていった会社です。
天童木工の売りは成形合板技術で、薄い木板を層状に重ねて、膠で接着しつつ圧縮して曲げて成形し、スタイリッシュでありながら日本文化に寄り添う素敵な家具を製作しています。この多様な形に適応できる成形合板技術は、リオオリンピックの卓球台に用いられるほど高い評価を得ています。
私は天童木工の座椅子が欲しくて、初任給は絶対天童木工だと思っていたのですが・・・ミニベロの自転車を選んでしまいましたね。ただ憧れは健在で、山形県護国神社の受付台や、新国立美術館などでも利用されていたのを見逃すことはありませんでした。そして今回、も、見つけたわけです。
天童木工製品は、言ってしまえば高価です。震災復興の動きがあったからこそ、このビジターセンターへの導入が適ったのだろうと思います。
復興支援で言えば他にも似たような事例を見たことがあります。
女川町生涯学習センター図書室の入り口には糸井重里のキャッチコピーと、かなり高度な造船技術を使った看板(金属板を曲げて、穴をあけて開けてアクリルを流してつくる)があったりして、ほれぼれと眺めたことがあります。
復興道路沿いにあった道の駅「おいすた」では、たしかトイレの空いている空いていないが、個室ドア上部に設置されたLEDライトの色で判別できるようにしてありました。このように沿岸地域は、さまざまな日本の技術が感じやすい場所でもあります。
もずくそば
話は反れましたが、そういうわけで天童木工のテーブルとイスを使用して、もずくそばを頂きました。きっと近くで取れた新鮮なものだったのでしょう、磯の香りが楽しめるおいしいお蕎麦でした。券売機で発見したあとにどこか窓口に渡すことなく、そこに印字された番号で呼び出されるシステムには、注文できているのか不安で少しそわそわしましたが大丈夫でした。
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