立佞武多の館
「たちねぷたのやかた」と読みます。県外民としてはなんとなく「ねふ”た」と言ってしまいますが、「ねふ°た」が正しいのだそうです。
ねぷたにも様々な種類があり、こちらは五所川原版のねぷた。高さ約23m、重さ約19tにも及ぶ人形灯籠で、カメラを構えても全体を映すのは無理なくらい巨大でした。
展示では紙の張り具合や、色付けで蝋を使うとこれだけ美しくなるのかということを知れたり新鮮でした。
しかしそれよりも私は立佞武多を紹介する映像に心打たれ、家族にばれないようにしつつも涙が堪えきれませんでした。もしその姿を見せても家族には何で泣いているのか分からなかったと思います。というのも普通の祭りの用意などを映した紹介の映像だったからです。
泣くほど感動したところ
何がそんなに心に刺さったのかというと、祭りの大太鼓の力強さと全力の大人の男性の掛け声に感動したからでした。オタクみたいな言い回しになってしまいますが、シンプルにひたすら尊いと思いました。
町全体でみんなで盛り上がる。もちろん不参加の人もいると思います。しかし「青森県人はこの祭りで完全燃焼をします」という表現に納得がいきました。恥ずかしがらずに全力の声をあげ、全力でねぷたを動かし、全力で跳ね続け、嬉しそうな顔で祭りを最高だと言いあう県民たち。
思えば祭りは生産活動ではありません。この祭りにはそういったことが求められる現代社会から離れた所で、全力を挙げられる純粋性、嘘の無さが美しかった。じんわりと趣のある祭りも良いですが、こういう爆発的にエネルギーをぶつける祭りの良さも知ることができました。そして、地元に根付いた人に通う血というものに憧れました。ここに生まれる子供たちは幼いころからこの強烈な経験ができるのです。きっとしなやかに育つだろうと思います。
その映像に感動したあとは、お囃子の生演奏がありました。横笛うますぎてびっくりしました。えーやってみたい。太鼓もやってみたい。かっこよくて羨ましいです。最近私の中で日本の音楽の魅力がましましです。お琴、引っ越し先でも続けよう。
祭りへの意識の変化
観光産業は、戦後の国土開発の一環として観光基本法などの制定により、時に昔に行われていた小さな祭りが無理やり観光名物として消費できるような形に誇張されている節があります。ですのできらびやかなあの祭りも、実はそこまでの年月を重ねていなかったりして、どの祭りも伝統文化と呼ぶことに疑問を持っていました。
このねぶた祭は戦前から存在しており土俵がしっかりいるのもあるのですが、それよりも何よりも、見ていてそんなことどうでもよくなりました。
たとえ地盤がしっかりしていなくても、表層には既に美しい結晶ができていた。これを生み出した人間の営みの美しさはどれも確かなものだと思いました。
見晴らしの良い昼食場所
上層階に見晴らしの良い食堂がありました。ここでは雄大な岩木山を望みつつ昼食を頂けます。
カツカレーを頼んでみて美味しかったのですが、かなりの量でした。父が頼んだシジミラーメン(おそらく十三湖で採れたもの)の大盛は、おそらくラーメンが2玉。満腹間違いなしです。
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