三内丸山遺跡
弘前市まで足を延ばし、三内丸山遺跡に行ってみました。想像よりも広く、想像よりも展示がしっかりとしていました。
良い天気でタンポポ畑になっており、外国人観光客は桜を前に撮影を楽しんでおりました。最高の散歩コースです。
大型掘立柱建物跡
教科書に載っているあれです。直径2m、深さ2m、間隔4.2mで、直径1mのクリの柱が建っていました。分かっているのは4.2mの単位があることと、1mの大木が使われたというだけであって、上層部がどうなっていたのかは不明と思われます。
現在、耐風耐震のために内側に少し傾けるような形が創造されていますが、色んな形を思い描くことのできるロマンがあります。
この物見台は発掘場所からはズレた場所にあり、本物の穴は倉庫のような建物に覆われて、湿度を一定にして保存されています。湿気ると腐りそうと思ったのですが、そうでもないのでしょうか。
建造物や遺跡の発掘位置から、当時キチンと機能ごとに場所を区分けして、町として機能していたことがうかがえます。
住居地域には、体験で竪穴式住居を作ってみた時の成果物が置いてありました。これが作れたら災害時役に立つ・・・かも?木製で屋根を作っていたものは、わらや土を使ったものと違って穴が開きやすいようで、中に入ってみると光が漏れていて、これは雨漏りだらけだろうなと思いました。
高床式倉庫含め、虫が湧いていたところがあり、わらを使うならやはり燻す必要があります。そういう技術を当時持っていてそれは近代に至るまで続いていています。また土器の中には漆塗りもあるなど、思っていた縄文イメージがもっと近代的なものになりました。
敷地が広く、展示も多く、あっという間に時間が経っていました。
発掘作業の途方の無さ
土器片が大量に出ている場所がありました。これをパズルのように組み立てるだなんて、なんと途方の無い作業なのだと思うくらい、夥しい量の破片が散らばっていました。これをやる人はすごいです。
復元土器の貯蔵庫を見た時には、思わず「すごいなあ、これ全部やったの?」と言葉がもれました。
石器天降説
売店で縄文の本が売られていて立ち読みしました。「縄文時代を知るための110問題」という本をちらっと読んだら、石器天降説というものがあり驚きました。一瞬「アダムとイブかな?」と思いましたがそうではなく、それくらい石器の技術が高いものだったという話だったのだろうと思います(パラパラとしか見れませんでしたので違うかも)。
縄文時代もギリシャ文明も大体同じ時期のものですし、縄文文化が大成していた可能性も十分にあります。洋服だって石器の流通を考えると、麻を紐で縛るあのスタイルじゃないかもしれません。これまでの、縄文及び古代文明を低級として扱うことで現代を肯定する、という論法も難しくなってきたように思います。
縄文ファンになる理由が少しわかりました。縄文好きのタイプについてこちらの方がまとめていて、すごく分かりやすかったです。
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